開業だより

開業だより2024

 令和6年 自治医大同門会誌 開業だより

 西暦2022年(皇紀2682年)2月24日、ロシアがウクライナを突如国境を越えて侵略を開始して2年半経過しようとしている。ある日突然、独立した主権国家に対して有無を言わせず武力侵攻をして自国の領土に併合しようとする暴挙である。プーチンは速攻でウクライナの首都キエフを制圧し、ゼレンスキー政権を崩壊させ、短期間で終わらせると目論んでいた。だから、ロシアではウクライナ戦争を「戦争」と呼ぶことを禁止し、「特別軍事作戦」と言わせ続けているのである。ところが、「特別軍事作戦」はもう2年半も続き、デパートや学校などの民間施設、インフラ施設などの無差別な攻撃により眼を覆うようなウクライナ国民を苦しめる惨状が続いている。世界のリーダーであるべき国連安保理事会の常任理事国であるロシアの暴走を世界は止めることができない。ウクライナに一方的に軍事侵攻したロシアへ国連の非難決議が、当事国にも関らず、常任理事国でもあるロシアの「反対決議」で採択されないという不条理がまかり通っているのが国連の現実である。(『世界は見ている、ここが日本の弱点』 中川浩一 育鵬社 2024)一方、アジアでは中国の横暴がエスカレートし、アメリカはいまや暴走する中国を制御することができない。日本が隣国から攻撃され戦場になったとき、アメリカは派兵し、最前線で日本を護り、本当に共に闘ってくれるだろうか。「力」による現状変更が統一ルールになりつつある時代に突入した。我々が戦後享受してきたはずの平和や民主主義という基本的な価値は、世界ではもう通用しないのである。日本人は本当にこの世界で生きていけるのか、この究極の問いが日本人の胸元に突き付けられている。(『世界は見ている、ここが日本の弱点』より)

 君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末

      (あなたのために捨てる命は惜しまないが、心にかかるのはこの国の行く末だ)(龍馬が越前福井でうたった歌『由利公正実話 由利公正伝第二篇』三岡丈夫著述)

 坂本龍馬は勝海舟を通じて越前福井に出向き、その地で横井小楠や由利公正といった財政再建に秀でた人物と面会を果たした。そのある夜、龍馬が小楠と由利と3人で炉を抱えて飲み始めたが、龍馬が愉快極まって、「あなたのために捨てる命は惜しまないが、国の行く末は心にかかる」という歌をうたったということである(『龍馬の言葉』 坂本優二 ディスカバリー・トウエンティワン2010)。坂本龍馬は1835年(天保6年)土佐(現在の高知県高知市)に生まれる。多くの有志や諸藩の協力者の助力を得ながら、やがて徳川家から政権を返上させるという未曽有の大目標だった「大政奉還」を、自らは裏方として実現させることに成功した。その後も明治以後の新政府の骨格作りにも力を注ぎ、未開地の開拓事業も視野に入れた彼の活動は多方面にわたっており、日本の近代化に大きく貢献した生涯であった(『龍馬の言葉』より)。わが国は2600年以上も続く世界にも類をみない万世一系の皇国である。卓球女子日本代表のエース、早田ひな選手がパリオリンピックからの帰国後の会見で「鹿児島の知覧特攻資料館に行って、生きていることを、そして自分が卓球をこうやって当たり前にできていることは、当たり前じゃないというのを感じたい」と語ってくれた。なんとすばらしい(!)日本精神を発信してくれたかと感動した。国民一人ひとりが無数の先人たちの努力によりこの国が連綿と繋がっていることをもう一度再確認しながら、他人任せではなく真の自立をしていく覚悟を求められている。

 他方、クリニックは令和6年6月13日で開院20年目を迎えることになった(写真1:今春の全員集合写真)。この20年間勤務医では経験できないような本当に大小さまざまなできごとに遭遇した(現在も進行中であるが)。眼の前におこることはすべて自分の責任だと受け止めているが、振り返ってみると5年ごとに大きな節目がやってきた。竹もそうだが、組織も人生も節がなければ、しなやかな強さは得られない。クリニックもさまざまな困難を乗り越えながら進化成長してきた。5年目(正確には3年目)には共にクリニックを立ち上げた仲間が去っていった(これはさすがに凹んだ)。10年目には共育したPTたちが集団で去っていった(これも立て直すのに時間を要した)。15年目には副院長が就任してくれた(これは私にとって身体的にも精神的にも大きな飛躍になった)。副院長である伴光正先生(18期、宮崎県出身)も就任5年目で、私の足りない部分をさまざまな場面でカバーしてくれる(写真2 毎年6月13日の開業記念日にスタッフたちが似顔絵写真を贈ってくれる)。丁寧な説明に加え、一人ひとりの患者に対するマネジメント力はとても高い。しかも私とは違う診療アプローチであり、患者のターゲット層も違うので、クリニックに来院する患者層にも厚みがでてきた。他部署と連携しながら現場復帰に導くトータルサポートも身につき、安心して任せられる絶対的な存在である。また彼の人物観察力は非常に高く、その行動予測力にはとても勉強になっている。眼の前の困難を乗り越えるには、リーダー自身の人間力を磨くことに加え、共に解決してくれるスタッフとのコミュニケーションを大切にしている。その大きな機会のひとつが毎年行っている職員旅行である。今年は、埼玉県秩父市に日帰りのバーべキュー旅行に出かけて、焼肉を食べ、ビールを飲みながら語りあった(写真3秩父小松沢農園にて、写真4川下り、写真5ぶどう狩り)。一緒に食事をして行動すると、互いの距離もぐっと縮まってくるのがわかる。これからも互いに尊敬しながら高め合えるクリニックの文化を醸成していきたいと思う。



 

変ずれば則ち通ず    

窮すれば則ち変ず 

      通ずれば則ち久し  『易経』

                                         


「行き詰まれば変わらざるを得なくなる。変わることにより何らかの道が自ずと開けてくる。その繰り返しをしていくことで永く道を続かせることができる。行き詰まって何もしないのではいつまでたっても道は開けない。」

 天文・地理・人事・物象を陰陽変化の原理によって説いた経典である『易経』からの言葉である。大切なのは窮したときどう対処するかであり、それがその後の生き方につながる。眼前の変化をどう受けとめ、どう自らの成長につなげていけるか。「ひとのせいにしない。環境のせいにしない。時代のせいにしない」これだけはこれからも意識していこうと思う。私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。この20年を振り返ってみると、資金も地盤もない中で県内では誰もやったことのなかったアスリート(こども)をターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、経営戦略、経営実践の3つの要因を明確にしながらぶれない軸で歩んできた。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフたちに徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有した。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。運動器リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべてドクタ―が兼務してきた。経営実践として、子どもたちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った(現在は副院長との外来体制で、午前9時から午後9時までの診療体制に拡充できた)。手術は2つの関連病院で行ってきた。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常2泊3日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。最高の関節鏡手術、さらに質の高い運動器リハビリを提供することでけがを一日でも早くけがを克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている(クリニックの目指す3つのトータルのひとつであるトータルサポート)。今年の手術件数は268例(うち関節鏡手術185例、73%)であった(表1)。コロナによる活動制限も完全解除になり、外来患者数の増加に伴い、昨年比6%の増加となった。手術内容としては、鏡視下肩腱板修復術において棘上筋さらに棘下筋を近位付着部から剥離移行させる筋前進法を取り入れた。これにより、従来現位置まで引き出せなかった腱板も容易に引き出せるようになり、鏡視下手術の適応が拡大された。肘MCL再建術(同側長掌筋腱を用いた)も増えてきた。野球選手が最も多いが、柔道やレスリングなどの格闘技もみられる。両側アンカーを用いるので、尺骨神経の剥離はしないで、皮切も4-5㎝であり、手術時間も1時間も要しない低侵襲手術を提供できるようになった。

子曰く、

吾、十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず

五十にして天命を知り、六十にして耳に順い、

七十にして心の欲するところに従えども、矩を越えず


                                                                 (論語 為政第二扁)

(私は15歳には世の中に役立つように学ぼうと心に決め、30歳には学ぶことがはっきりして自立でき、40歳には迷うことがなくなった。50歳には天から与えられた自分の使命を知った。60歳には人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。70歳には自分の思いのままに行動しても、決して人の道を踏み外すことはなくなった。それが私の一生であったよ)

 これは世界の四大聖人のひとりである孔子の73歳の生涯を自らが振り返った言葉である。自己を向上させるためには終生学び続けなければならない。私も今年で還暦を迎えることになった。孔子の「耳順(じじゅん)」には程遠いが、周りの声にも耳を傾け軌道修正できるようになった。そして数年前から、自らのこころの声でもあろう「未来に何を残すか、次世代に何を繋げるか」を強く意識するようになった。スタッフたちと週1回取り組んできた『論語』に学ぶ100回の講義も終え、今年から20世紀最高の哲人といわれたPF.ドラッカーの教えを学び始めた。学びのひとつでも、自分の生き方として実践し、人としての品格を磨き、人から信頼され、人として豊かな人生を歩んでほしいと願っている。また、4月から芳賀赤十字病院の才津先生(自治医大熊本県出身)が鏡視下手術を学びに来てくれている。肩関節のみならず、肘、手、股、膝、足関節鏡手術など私のもっている知識と技術をすべて伝えたいと思っている。人から愛され、人から選ばれる整形外科医になってほしいと願わずにはおられない。



開業だより2023

令和5年 自治医大同門会誌 開業だより

 西暦2022年(皇紀2682年)2月24日、ロシアがウクライナを突如国境を越えて侵略を開始して1年半経過しようとしている。ある日突然、独立した主権国家に対して有無を言わせず武力侵攻をして自国の領土に併合しようとする暴挙である。短期決着というロシアの思惑とは裏腹に、眼を覆うようなウクライナ国民を苦しめる惨状が続いているのは周知の事実である。世界のリーダーであるべき国連安保理事会の常任理事国であるロシアの暴走を世界は止めることができないでいる。世界は黒化(=独裁化)しているといわれている(黒化する世界―民主主義は生き残れるか? 北野幸伯 育鵬社 2022)。民主主義の国(=白)が「独裁化」(=黒)していくというのである。世界には2020年時点で民主主義国家が98あり、黒色独裁国家が44(こんなにあるのかという数字に驚く)ある。近年の傾向として2015年から2020年の5年間で、民主主義国家は6か国減り、黒色独裁国家が4か国増えた(両側面をもつ灰色国家2か国)。例えば、2020年6月、「香港国家維持法」が成立し、香港から自由は消滅。2020年8月、ベラルーシではルカシェンコ大統領が6選を果たし、不満な国民のデモは武力で鎮圧。2021年1月、ロシアでは「反プーチン」勢力一番の大物、アレクセイ・ナリヌワイが逮捕。以後独立系メディアはことごとく潰され、言論の自由は消滅。2021年2月、ミャンマーで軍事クーデターが再び起こり、アウンサンスーチー国家顧問が拘束され、軍事政権が復活。黒化勢力の「核」は、いうまでもなく中国である。黒化するとどうなるか。言論の自由、信教の自由、結社の自由は消滅し、人権はなくなるのである(以上、「黒化する世界」より)。あらゆる嘘で塗り固めた、狡猾で、非人道的で、利己主義を地でゆく仕業をやり尽くす。「個人的にはいい人もいる」ではいつか世界・地球を滅ぼす元凶となっていくに違いない。日本人として誰がそんな未来を望んでいるだろうか。

国難襲来す 国家の大事といえども

深慮するに足らず深慮すべきは人心の正気に足らざるにあり

   (藤田東湖 1806-1855 江戸時代後期に活躍した水戸藩の政治家)

 江戸後期の水戸学の指導者である藤田東湖が、黒船がやってきたときに後輩の吉田松陰に贈ったものである。当時鎖国の日本に大きな衝撃を与えた黒船襲来は、多くのひとを慌てさせたであろう。そんな中で東湖は、深く考えなければならないのは、黒船襲来ではなく、人々の心だと説いた。黒船の脅威は国難であろうが、本当の国難は脅威の前に慌て自らを見失っている人心であるというのである。今のわが国の実情と似通ってはいまいか。「平和、平和」と声高に叫んでも、それがただで訪れることはあり得ない。奴隷の平和(?)は、真の平和にはなり得ない。ウクライナ、台湾の次は日本である。ウクライナになるか、チベットになるか。現実を直視し、他人任せではなく国民一人ひとりが自立していく真の覚悟を求められている時機にきていると感じている。


 他方、クリニックに眼を向けると、今年は理学療法士3名の仲間が増えた(写真1:今春の全員集合写真)。採用面接では、このクリニックで自分の夢を実現していきたいと力強く語ってくれた(給料はいくらだ、休みはどうだという質問は一切なかった)。スタッフ個人のSNSをみて感銘を受けて、そんな職場で一緒に働きたいと入職した者もいた。若者にとってのSNSは新たな就職のツールになっているのだと驚いた。新人たちも入職して4か月が経ち、先輩たちと同じように患者さんの治療を任され、毎日“なぜよくならないのだろう”と壁にぶつかっているようである。この時期にテキトーな治療で終わるのではなく、“なぜ、なぜ、なぜ”と眼の前におこる現象を追及していく原因洞察力、論理構築力、そして治療のストーリー構成力を磨いていってほしい。一生の財産になっていくはずである。新人たちに元氣があると、先輩たちもいい刺激をうけているようである。新人の時の初心に戻って、素直になれるのかもしれない。先輩たちを突き上げていくような存在になってほしい。今年は、北海道で美味しいものをたくさん食べたいということで、2泊3日で札幌中心に北海道旅行に出かけてきた(写真2、苫小牧のノーザンホースパークにて)。一緒に食事をして行動すると、互いの距離もぐっと縮まってくるのがわかる。これからも互いに尊敬しながら高め合えるクリニックの文化を醸成していきたい。副院長である伴光正先生(18期、宮崎県出身)も4年目(!)でスポーツ専門外来でも固定客がついてきた(写真3,4 毎年6月13日の開業記念日にスタッフが似顔絵写真を贈ってくれる)。丁寧な説明に加え、一人ひとりの患者に対するマネジメント力はとても高い。他部署と連携しながら現場復帰させるトータルサポートも身につき、安心して任せられる絶対的な存在に進化してくれている。また彼の人物観察力は非常に高く、その行動予測力がとても勉強になる。スタッフの人事評価に活かし、早期に対応できるのでとても助かっている。自分にないものをもっているひとに出逢えることはしあわせである。ひととのご縁には心から感謝している。


志を高く持って努力すれば、現状よりもさらに高みを目指すことができるのだと気付くこと。是こそ私は、悪しき平等主義がはびこる今の世の中で、極めて重要なことであると声を大にして言いたい。

                                  (渡部昇一 1930-2017 上智大学名誉教授)

 知の巨人といわれた渡部昇一先生は、わが国の国力が下がった真の原因は「過度な平等主義」であると喝破された。以前にみられた運動会の徒競走で先頭がゴール前で待ってみんなで手をつないでゴールするというバカな教育はもうなくなっただろうが、みんなが仲よく同じレベル(低いレベルに留まるだけで高いレベルに上がるはずはない)になろうとする平等主義の教育からは、一流の人間は生まれないだろう。一人ひとりが、それぞれ一流を目指しながら、互いに尊重し、日々努力し続けていく。今年も、スタッフとともに知識と技術の高みを目指していきたい。私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。この18年を振り返ってみると、資金も地盤もない中で県内では誰もやったことのなかったアスリートをターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、経営戦略、経営実践の3つの要因を明確にしながらぶれない軸で歩んできた。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフに徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有した。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべてドクターが兼務してきた。経営実践として、子供たちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った(現在は副院長との外来体制で、午前9時から午後9時

までの診療体制に拡充された)。手術は2つの関連病院で行ってきた。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常2泊3日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。今年の手術件数は253例(うち関節鏡手術192例、76%)であった(表1)。コロナによる活動制限も解除になり、スポーツ活動の機会ももとに戻ってくる傾向にあり、昨年比14%の増加となった。昨年より各関節の日本でトップレベルのスコピストの鏡視下手術を積極的に学ぶ機会を作るようにした。肩関節(TSOC 菅谷先生)、肘関節(横浜南共済病院 山崎先生)、手関節(新潟手の外科病院 坪川先生)、股関節(TSOC 宇都宮先生)、膝関節(新上三川病院 関矢先生、石橋総合病院 髙橋先生)、足関節(重城病院 高尾先生)の各先生の下で鏡視下手術を見学させていただいた。目的は3つ、①トップスコピストと比較して自分の関節鏡レベルを知る、②最新の技術、知識を学ぶ、③日本のトップレベルと繋がる、である。一時期、脊椎内視鏡手術(腰椎ヘルニアに対するMED)まで学ぼうとした(これで全身をすべて自分でできると目指した)が、さすがに年齢的にも機会的にも限界を感じ諦めることとした。何も特殊な技術を身につけようとしているわけではない。標準的な各関節の鏡視下手術の日本のトップレベルを目指したいと考えている。目指すはスタンダードのスペシャル・スコピストである。


士は以て弘毅ならざるべからず。

任重くして道遠し。

仁以て己が任と為す。亦重からずや・

死して後已む。亦遠からずや。


(論語 泰伯第八扁)


(士は度量が広く意志が強固でなければならなし。それは任務が重く、道は遠いからである。仁を実践してくのを自分の任務とする。なんと重いではないか。全力を尽くして死ぬまで事に当たる。なんと遠いではないか)

 これは孔門十哲の一人であるの曽子が孔子の人生そのものを表現した論語の一説である。あの徳川家康もこの章句に感銘を受けて、「人の一生は重荷を背負うて遠き道をゆくがごとし」という言葉を残している。昨年より週1回昼のミーティングに、30分程度ではあるが論語勉強会を始めた。一章句を選んでみなで唱和し、私が作った8枚程度のスライドでその意味を解説し、それぞれにその時に湧きおこる考えを披露してもらっている。当初は堅苦しくて長続きできるか心配したが、今年に入ってスタッフの発言がみるみる変わり、仁であるとか、思いやりであるとか、他者への貢献、感謝、謙虚を自然と口にできるようになってきた。聖書と並ぶ世界的なロングセラーとして、2500年読み継がれてきた『論語』の奥深い魅力に驚いている。学んできた『論語』のひとつでも、自分の生き方として実践に活かし、人としての品格を磨き、人から信頼され、人として豊かな人生を歩んでほしいと願っている。私自身もスタッフたちに負けないように、いつまでも自分の道に弘毅であり続けたいと思っています。

2023年3月、国際刑事裁判所(ICC)がプーチン大統領に逮捕令状を発行した2023年8月30日、北朝鮮で牛を食肉として売りさばいたとして、男女9人が公開処刑された。警察官、秘密警察、軍人、警察養成学校の学生が含まれたらしい。


開業だより2022

令和4年 自治医大同門会誌 開業だより

 西暦2022年(皇紀2682年)2月24日(図らずも小生の誕生日であり、忘れ難い日になってしまった)は、ロシアがウクライナを突如国境を越えて侵略し始めた。ある日突然、独立した主権国家に対して有無を言わせず武力侵攻をして自国の領土に併合しようとするのである。このロシアの仕掛けた侵略戦争は、第二次世界大戦後の世界秩序を根底から覆してしまった。力さえあれば何をしてもいいという構図である。そういう暴挙を国連安保理事会の常任理事国であるロシアがやってしまった。これは第二次大戦の戦勝国が実は侵略者であったということなのである。毎日街が破壊しつくされ、罪もない人々が殺戮されたという悲劇的でショッキングな映像を目の当たりにする。これが今地球上に起こっていることなのか。この21世紀になぜこんな悲惨な戦争がおこるのか、こんなことが許されていいのだろうかという思いがこみ上げてくる。しかしロシアはこのようなことを繰り返してきたことを忘れてはなるまい。第二次大戦末期の満州だけでなく、日本がポツダム宣言を受諾して武装解除した3日後の昭和20年8月18日、突如として日ソ中立条約を破棄して、千島列島北東端の占守島などを武力侵略してきた(武器を放棄した日本軍、そして日本国民に対してである)。再び立ち上がった日本軍守備隊は戦闘を優位に進めるものの、軍命により8月21日降伏。捕虜となった日本兵は、その多くが法的根拠なく拉致され、シベリアへ抑留された。以後、北方領土(択捉島、国後島、色丹島、そして歯舞群島をあわせた4つの島)は不法に占拠され、現在にまで北方領土問題として続いているのである。まさにこのソ連軍の暴挙を彷彿とさせる。

一、 広く会議を興し万機公論に決すべし(広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう)

一、 上下心を一にして盛んに経綸を行うべし(身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう)

一、 官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦ざらしめん事を要す(文官や武官はいうまでもなく一般の国民もそれぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です)

一、 旧来の陋習を破り天地の公道にくべし(これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行いましょう)

一、 知識を世界に求め大いに皇基を振起すべし(知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう)五箇条の御誓文(明治神宮HP)

 19世紀後半から20世紀にかけて、ほとんどすべての非西洋諸国が欧米列強の植民地・属国として支配される中、我が日本のみが近代国家として独立を果たすことができた。それが明治時代である。明治天皇がこの新たな時代にいかなるご覚悟で出発なされたか。それが「五箇条の御誓文」(明治元年3月14日発布)に示されている。「五箇条の御誓文」の最後には、「我国未曽有の変革を為さんとし、朕躬(みんみ)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め万民保全の道を立てんとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ」というお言葉がある。明治天皇が「天地神明」にお誓いして出されたからこそ「御誓文」と称されるのである。その明治38年(1905年)、当時世界一の陸軍国・ロシアを日露戦争で撃破し、全世界を驚嘆させ、西欧列強の植民地支配を終結されるきっかけを作った。この日本独自の民主主義の精神、国是を詳らかにするものが今の日本にはない。米国の庇護の下での日本の空想的な平和主義ももう限界が来ていることは明々白々であろう。日本が第二のウクライナにならないためにも、日本国民が目覚め一致団結して我が国を護る気概をもたなければならない。


 一方、クリニックに眼を向けると、今年は理学療法士2名、柔道整復師2名、受け付け1名と5名の仲間が増えた(写真1:全員集合写真)。今年の新入スタッフは総じて優秀で、とにかく活きがいい。自分で考え積極的に動く素養(最初はそれが間違っていてもいいのである)があるので、将来がとても楽しみである。ひとをしあわせにする喜びを感じながら、まっすぐに成長してほしいと願っている。新人たちに元氣があると、先輩たちもいい刺激をうけているようである。新人の時の初心に戻って、素直になれるのかもしれない。互いに尊敬しながら高め合えるクリニックの文化を醸成していきたい。副院長である伴光正先生(18期、宮崎県出身)も3年目でスポーツ専門外来も板についてきた(写真2:毎年6月13日の開業記念日にスタッフが似顔絵写真を贈ってくれる)。彼は一人ひとりの患者に対するマネジメント力はとても高いので、他部署と連携しながら復帰させるトータルサポートも自然と身についてきた。安心して任せられる絶対的な存在に進化してくれている。組織の経営は、結局はひととの出逢いであると思う。成功した一流企業の創業者にはかならず片腕になるひとがいる。それも全くタイプが違って、互いを補い合い、強力な化学反応を興しあえる存在である。松下電器産業(現 パナソニック)の松下幸之助と高橋荒太郎(労使問題や伸び悩んでいる事業部のテコ入れなど、日の当たらない部分で厳しい役回りを引くうけ、会社を支え続けた)、世界のホンダの本田宗一郎と藤沢武夫(技術出身の経営者を組織管理・財務・営業で辣腕をふるう)、ソニーの井深大と盛田昭夫(発明家で天才肌の井深を女房役に徹しソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立したて支えてきた)。トップは全く違う知識や考えを持ったひととまず対話できることこそ大切だ。同じタイプは二人も要らないのである。小生は感覚肌で、思いついたら猪突猛進のように突き進んでしまう。副院長は普通の人とは違う視点をもち、冷静に物事を判断しながら、でも必ず自らの考えも小生に進言提案してくれる。経営を永く成功させ続けるためには、最後はひととの出逢いが決めるといってもいいかもしれない。そういう出逢いに恵まれるまで、トップは辛抱しないとならない。15年間たった一人で(どの開業クリニックもそうであろうが)ドクターとして院長として全てを担ってきた3年前にはもう戻れない。私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。

この17年を振り返ってみると、資金も地盤もない中で県内では誰もやったことのなかったアスリートをターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、戦略、実践の3つの要因を明確にしながら取り組んできた。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフに徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有した。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべてドクターが兼務してきた。経営実践として、子供たちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った(現在は副院長との外来体制で、午前9時から午後9時までの診療体制に拡充された)。手術は2つの関連病院で行ってきた。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常2泊3日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。今年の手術件数は221例(うち関節鏡手術137例、62%)であった(表1)。コロナ禍の影響も薄らいだ2月頃から手術患者がもとに戻ってくる傾向にあり、昨年比13%の増加となった。また昨年コロナワクチンをのべ7000人打ちまくったことでビックリするぐらいの補助金をいただいた。税金でもっていかれるのはもったいなので、昨年秋にはコロナの減退を見計らって、鳥取カニ三昧ツアーと銘打ってスタッフみんなを小生の故郷鳥取に連れていった(写真3)。スタッフみんなを一度は古里とっとりに連れていくのが開業以来の夢のひとつであった。さらに三密を回避するため手狭になった待合室も拡張した(写真4)。開業時からみると実に4倍の広さになった。同時に玄関もリニューアルして、レンガ調の温かい落ち着いた外観にした(写真5)。一方、同じ敷地内にあるトレーナー会社KCP (Kamimoto-Conditioning&Performance)の経営するトレーニングラボは2年目を迎えているが、医科学サポートをベースに、目的別(「ダイエットしたい」「持久力をつけたい」「登山がまたできるようになりたい」「ゴルフがもっと上手くなりたい」など)、年代別(幼児からお年寄りまで)にニーズに合わせてより細やかなサービスを提供できている。コロナの影響からか、パーソナルトレーニングがとても人気である。さらに今秋のとちぎ国体優勝に向けて、TIS(とちぎスポーツ医科学センター)とも連携しながら各団体の国体選手を積極的にサポートしている。

一、 布施 与える

一、 持戒 自ら戒めるものをもつ

一、 忍辱 苦難やいやなことを耐え忍ぶ

一、 精進 仕事に一所懸命に打ち込む

一、 禅定 こころを落ち着かせる

一、 智慧 以上の五つの修養に努めていくと生まれる


 お釈迦さまは人間を悟りに導く方法として上記の六波羅蜜を説かれた。中でも、人間の根を養うのに大切なのは、忍辱である。人生のさまざまな艱難辛苦に耐え忍んでいく。植物が厳しい風雪や干天に晒されるほど強く根を張るように、人間の根もそこに養われるのである。コロナ、円安、物価高、原油高、ウクライナ戦争、台湾危機など不安定な国内外の状況下にあるからこそ、今だけ、金だけ、自分だけ(三だけ)という狭い視野に陥らず、自らの役割を果たしながら、人生を磨き続けていきたい。

開業だより2021

かみもとスポーツクリニック 上本 宗唯 

 令和3年 自治医大同門会誌 開業だより

 西暦2021年(皇紀2681年)は、201912月(それ以前という説も有力だが)中国武漢で発生した武漢コロナウィルスによる感染症は瞬く間に世界中に拡がり、1年半以上経った今も未だに収束の兆しさえみえてこない。わが国では202047日の第1回緊急事態宣言以降、政府の対策が遅かったり 不十分であったり、緊急事態宣言を出して終わらせてまた出してと繰り返したり、第3波とよばれた感染再拡大の時期に「Go to travel」のような国民の移動を増やすような政策が推進されたりと、政策の迷走が続いてきた。疫病の被害だけでなく、人為的な誤りにより大きな経済被害を含めたダメージが重なっているような気もしてならない。そんな中、723日より東京五輪が無観客で開催された。折角始まったのだから、盛り上げよう!57年ぶりの東京五輪を楽しもう!それに応えるように、選手たちも過去最高ペースのメダル獲得ラッシュをみせている。メディアも連日お祭り騒ぎである。五輪のためにコロナによる厳しい制限下で死にもの狂いで努力してきた選手やコーチたち、そんな選手の思いを尊重してコロナ禍にもかかわらず送りだしてくれた家族の思いなど一人ひとりのストーリーには胸を熱くするものが込み上げてきた。一時でもこの暗い沈滞した社会の雰囲気を忘れさせてくれた一服の清涼剤となった。 

クリニックに眼を向けると、今年は理学療法士2名、受け付け2名と4名の仲間が増えた(写真1:全員集合写真)。新入スタッフをみていると、同期が1名より2名の方が明らかに成長速度が早い気がする。楽しいことも苦しいことも互いに共有できる仲間がいるからであろう。互いにいい刺激をしあいながら、切磋琢磨し同期の縁を大切にして成長してほしいと願っている。1人より2人といえば、副院長である伴光正先生18期、宮崎県出身)の存在は非常に大きい(写真2613日の開業記念日にスタッフが似顔絵写真を贈ってくれた)。彼はとても優秀であるのはもちろんだが、気になることがあれば必ず報告してくれて、決して自分勝手なことはしない。上司として安心して仕事を任せられる資質のひとつであろう。6月からコロナワクチンの接種を1100人週4回引き受けた。この暗い沈滞した社会のムードを変えるには一日でも早く一人でも多くワクチンを接種することしかないという思いからだ。これまで3000人以上打ちまくってきたが、開業医がこんなことをできるのも、クリニック業務を安心して任せられる副院長がいてくれたからこそと心から感謝している。

   決して素直に「ありがとう」といわない人

  「ありがとう」といっても、恩返しをしない人

  「ありがとう」と唱えただけで恩返しができたと思っている人

                 (「不幸の三定義」 小さな人生論2『致死出版社』より)

写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
写真2-1,2:KCPフェスタのちらし

 入職するスタッフだけではなく、退職するスタッフも数人いた。有給休暇、個人休暇をめーいっぱい使い、ボーナスももらえるように計算して辞めていくのである。勤務医の時代、有給休暇など意識していなかった自分にとって、今の若いやつは計算高いなあと感心してしまう。「今までよくやってくれた」「何かしてやりたい」という感謝の気持ちなど吹っ飛んでしまう。明治の文豪、幸田露伴は自著『努力論』の中で、「惜福」「分福」「植福」の幸福三説を主張した。「惜福」とは自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておくことである。「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」。と述べている。権利ばかりを主張して、それを押し通す生き方に、運の開かれた未来はないと感じるのである。

 私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。この16年を振り返ってみると、資金も地盤もない中で県内では誰もやったことのなかったアスリートをターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、戦略、実践の3つの要因を明確にしながら取り組んできた。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフに徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有した。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべて院長私自らが兼務した。経営実践として、子供たちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った。手術は2つの関連病院で、年間およそ200例(うち関節鏡手術平均8割程度)を行ってきた。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常23日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。これまで理学療法士になりたい、スポーツドクターになりたい、医療事務の資格を取りたいと、クリニックの治療を通じて自分のこれからの人生の職業の選択をしてくれた若者が10人以上を数える。純粋な彼ら彼女らが「将来こんな仕事をしてみたい」と憧れに感じてくれるのは、我々が早く元氣になってほしいと選手と真剣に向き合っている証だと誇りに思う。今年の手術件数は195例(うち関節鏡手術118例、66%)であった(表1)。コロナ禍の影響も大きく、昨年よりさらに6%の減少となり、なかなか快復の糸口がみつからない。一方、トレーナー会社KCP Kamimoto-ConditioningPerformance)の経営するトレーニングラボは何とか昨年10月にオープンした(写真3:外観、写真4:ヨガスタジオ)。医科学サポートをベースに、目的別(「ダイエットしたい」「持久力をつけたい」「登山がまたできるようになりたい」「ゴルフがもっと上手くなりたい」など)、年代別(幼児からお年寄りまで)にニーズに合わせてより細やかなサービスを提供できている。やはり時代のニーズなのか、パーソナルトレーニングが人気のようである。

写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
表1
表1


内外の状況を深思しましょう。
このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。
我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々が何とかするほか無いのです。
我々は日本を易(か)えることが出来ます。
暗黒を嘆くより、一燈を点けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照す一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう。
これ我々の萬燈行であります。
互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。

                    (安岡正篤 『萬燈行』)


 歴代の総理大臣のご意見番ともいわれた、昭和の碩学 安岡正篤先生のことばである。「世直し行」という何か大袈裟なことではない。武漢コロナの長期化により、さまざまな日本の制度や仕組みの転換を急激に迫られ、ひとと社会は消耗し疲弊している。その中で、日本古来の精神風土をもう一度ひとと社会に蘇らせなければならない。そのために、今自分は何をすべきか、一歩でも二歩でも前進して行動に移してかなければと思うこの頃である。

開業だより2020

令和2年 自治医大同門会誌 開業だより

 西暦2020年(皇紀2680年)は、開業して15年というひとつの節目であったが、世の中は未曾有の事態に見舞われることになった。2019年12月(それ以前という説もあるが)、中国武漢で発生した中国コロナウィルスによる感染症は瞬く間に世界中に拡がり、わが国でも3月中旬以降感染経路不明による患者さんが激増することになった。4月7日の緊急事態宣言以降、学校の休校などステイホームの呼びかけにより、私のクリニックも患者さんが激減した(みんな動かないので、けがもしない)。そんな状況下でも来院してくださる患者さんは本当にありがたかった。ありがたいとは、「有り難い」つまり、めったにないという意味である。今まで当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではないと改めて気付かされた。患者さんも6月になったら、徐々に戻ってきたが、昨年ほどには至っていない。“ウィズコロナ”として全ての場面において、昨年を基準にするということはもうできないのかもしれない。今年は理学療法士1名、柔整1名、受け付け2名と4名の仲間が増えた(写真1:新人歓迎会、コロナ禍なので院内での開催)。さらに、念願の副院長を招聘することができた。母校の後輩である 伴光正先生(写真2、23期、宮崎県出身)である。彼とは以前から懇意にはしていたが、外傷治療のスペシャリストを目指していたので、私の方向性とは違っていると認識していた。昨年夏前に今後の方向性を悩んでいるというので、勇気づけようと思って東京で飲んだときである。実は、私のクリニックのコンセプトである、「トータルサポート」に興味があるというのである。「じゃあ、ぜひ一緒にやろうよ」ということで話がトントン拍子に進んだ。彼は、私と違ってとても穏やかであり、丁寧な診療をしてくれる。タイプの異なる二人のパワーを融合させ、さらにクリニックを深化発展させながらオンリーワンのスポーツクリニックを創っていきたい。ひとの縁は本当に不思議であり、心からありがたいと思う。

写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
写真2-1,2:KCPフェスタのちらし


水ノ口中二入冷暖自知スルガ如シ

(水が冷たいか温かいかを知りたければ、実際に飲んでみればよい)

                          「無刀流剣術大意」山岡鉄舟

 置いてある水が温かいが冷たいかといわれても見ただけではわからない。ではそれを知るにはどうしたらいいかというと、手を突っ込むか飲んでみればいい。そうすれば自ずから冷たいのか温かいのがわかる。(「山岡鉄舟修養訓」平井正修より)山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟とともに幕末三舟のひとりと称され、江戸無血開城に尽力した人物である。さらに剣、禅、書の達人としても知られている。この「冷暖自知」とは、「まあ、やってみなはれ」ということだろう。誰も経験したことのないこのコロナ禍で、「ああでもない、こうでもない」と悩んでいては事態は悪化するばかりである。わからない段階で、ベストな選択をして行動する。そして、問題がでてくれば迅速に修正していく。国家全体が“ワンチーム”になって、ともに助け合う相互扶助の共同体意識をもちながら、一致団結して行動していくことである。毎日毎日感染者数を出して不安を煽り、講じた施策を悉く批判しているマスコミの報道にはもううんざりである。最近は、もうテレビもほとんど観なくなった。私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。この15年を振り返ってみると、資金も地盤もない中で県内では誰もやったことのなかったアスリートをターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、戦略、実践の3つの要因を明確にしながら歩んできた。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフに周知徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有してきた。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべて院長私自らが兼務した。経営実践として、子供たちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った。手術は2つの関連病院で、年間およそ200例(うち関節鏡手術平均8割程度)を行っている。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常2泊3日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。加えて、このクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めている。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンはきちんと留める」「スリッパをきちんと揃える」「診察券は両手で受け取る」「診察するときには帽子はとる」など今まで家庭や学校の躾で自然と身についていた小さな当たり前のことをきちんとできるように指導してきた。これまで理学療法士になりたい、スポーツドクターになりたい、医療事務の資格を取りたいと、クリニックの治療を通じて自分のこれからの人生の選択をしてくれた若者が10人以上を数える。純粋な彼ら彼女らが「将来こんな仕事をしてみたい」と憧れに感じてくれるのは、我々がけがを乗り越えて早く元氣になってほしいと選手と真剣に向き合っている証だと誇りに思う。これからも子供たちにとって自分の仕事に誇りをもち全身全霊で取り組んでいる憧れの存在でありたいと思う。今年の手術件数は206例(うち関節鏡手術143例、69%)であった(表1)。昨年比で16%の減少となり、4月および5月は4-5件という惨憺たる状況であった。「手術をやってほしい」「私もやりたい」「でも緊急手術ではないのでもう少し延期しよう」と。とても苦しい期間が続いた。

 一方、トレーナー会社KCP (Kamimoto-Conditioning&Performance)も4年目となり、スタッフも2人増えてきたことでさらに飛躍の年にしなければならない。9月には新しい施設(ヨガスタジオ)もクリニック北側にオープンする。2階は宿泊施設(伴先生、来客用)も併設した(写真3)。医科学サポートをベースに、目的別(「ダイエットしたい」「持久力をつけたい」「登山がまたできるようになりたい」「ゴルフがもっと上手くなりたい」など)、年代別(幼児からお年寄りまで)にニーズに合わせてより細やかなサービスを提供していきたい。

人の一身の幸福が世に処する間に、自己一人にて発達すると思ふは大いなる誤解である

                                 渋沢栄一

 人の一身の幸福が世に処する間に自己一人にて発達すると思ふは大なる誤解である。社会の力の功徳が之に与って重きを為すもので、独り自己一人の知恵ばかりに依るものではない。故に人は社会の恩恵を忘れてはならぬではないか。この故に如何に自己一人で蓄積した資産だとはいへ、これを其の血統の者にばかり譲り渡すのは甚だ不当で、社会の恩恵を思へば之を一般社会にも分けるのが当然である(「渋沢栄一 人生をつくる言葉50」渋澤健より)渋沢栄一は、「日本の資本主義の父」ともいわれ、明治、大正時代に活躍した大実業家である。日本初の銀行である第一国立銀行をはじめ、およそ500社の設立に関与した大実業家であり、およそ600社の大学、病院、社会福祉施設など非営利の組織や活動の設立に関与した社会起業家でもある。事業が繁栄すれば、人々は富み、国力も高まる。日本はもっと良い国になれるのだ-これが渋沢栄一の行動を支えた国家論である。ひとは一人では生きていけない。ひとは社会の中で生きる存在である。だからこそ、ひとは社会の恩恵を忘れてはならないのである。クリニックをさらに発展させていきたいこのときだからこそ、利他の心(他者を思いやる心)を持ち続けいと思う。令和の時代は、「競争」ではなく「共創」の時代にしなければならない。このコロナ禍でソーシャルディスタンスという物理的な距離を要求されるようになった。互いのこころの距離まで拡がり、一人ひとりが孤立するようなことがあってはなるまい。最後に、西田文郎先生(サンリ会長、日本能力開発分析協会会長)が提唱する、「天運の七つの法則」を紹介したい。天運とは先祖からいただいた究極の運のこと。これを学んで実践することが、自分の人生をよくすることのみならず、自分の子や孫を幸せにする道でもある。

第1、 真の親孝行。おまえが自分の子供でよかったと親に言われることが真の親孝行。そんなことはいわれたこともないが、週に1回は親に電話するようになった。

第2、 先祖の歴史。自分という人間が生まれるためには、必ず二人の親がいて、その親にはまた二人ずつの親がいる。10代遡ると1024人、20代で104万8576人…。たったひとりでも命を受け継いでくれる人がいなかったら自分は今存在しない。まさに奇跡としかいいようがない。心から感謝である。

第3、 日本の成り立ち。我が国は紀元前660年に初代神武天皇がご即位されてから第126代今上陛下まで、実に2680年にわたって連綿と続く世界で最も長い歴史を持つ国である。常に国民の安寧と繁栄を祈っておられる天皇陛下の下、この国難ともいえるコロナ禍を国民一丸となって乗り越えていかなければならないと思う。

第4、 善と正義。生かされていることに感謝の念が湧きおこり、自分を大切にすることはもちろん、他人を思いやることができ、自らが信じる正しい行為を命がけで成し遂げようとする。コロナ禍で、さまざまなことを犠牲にしながら最前線で活躍してくださっている医療関係者の方々に心から感謝したい。

第5、 無知の知。学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。一生涯、勉強である。

第6、 天との約束。ひとは必ず使命をもってこの世に生を受ける。その使命に気づき、生涯果たし続けることが天との約束である。ひとを貶めたり、嵌めたり、騙したりすることだけはするまい。

第7、 伝承伝達。我々は先祖から命を受け継いで生きているだけでなく、よりよく生きるための知恵や技術もまた伝承伝達されている。これからも関節鏡技術、スポーツ医療に対する考え方のみならず、豊かな人生を歩むための心構えも含め、未来ある後輩たちに伝えていきたい。この「天運の七つの法則」を学び実践しながら、少なくとも開院30周年までは、現役バリバリで世の中のために尽くしていきたいと思う。

開業だより2019

写真1:新人歓迎会

かみもとスポーツクリニック 上本 宗唯 

 西暦2019年(皇紀2679年)は、新たな令和の時代に変わるともに、開業して実に丸14年を数えることになった。5月1日より新元号「令和」が始まった。令和という元号が、従来のような漢籍ではなく、国書「万葉集」から引用したものであることは、新元号の発表とともに大きな話題となった。伝統を重んじつつも新しい時代の軸を打ち出したこと、さらに我が国が二千年を超える悠久の歴史を通じて、自国の古典から元号を選択する豊かな文化を育んできたことを世界中に示したことは、日本人のひとりとして大いに喜ばしく誇らしく思う。クリニックの仕事を通じて、新たな時代の日本の発展に少しでも貢献できればと決意を新たにしている。今年は理学療法士1名、受け付け1名の増員となり総勢22名となった(写真1:新人歓迎会)。当初は私のコントロールできるPTの人数を超えることもあって増員の予定には積極的ではなかった。PTの彼は、「ここで自分の夢を実現したい」と高い志をもっていたので、共育(ともに学んでいく)したいと思い採用した。とても向上心が高いので、入職3か月にはもう普通に患者さんを治療できるレベルに到達した。これからの成長がとても楽しみなスタッフのひとりである。受け付けの彼女は、高校時代膝のけがの治療でクリニックに通院した経験を持っていた。「支えられる側から、今度は支える側になりたい」という人間が本来持つべき縦軸の感覚を持ってくれている。毎日、笑顔で選手を迎えてくれ、少しでも早く仕事を覚えようと活き活きと積極的に働いてくれている。おもてなしのスペシャリストとしての成長がとても楽しみなスタッフである。中学、高校と多感な世代に、「自分もこんな仕事をしてみたい」と我々の姿をみてあこがれてもらえることは本当にやりがいのあることである。彼ら、彼女らの人生に少しでもいい影響を与えられるような仕事をしていきたいとも思う。

日日是好日

 雲門文偃(ぶんえん):唐末五代の禅僧、雲門宗の開祖(864~949)

 雲門があるとき大勢の弟子たちを集めて講和をしたついでに、こういう質問をした。「十五日以前のことは問わないが、最近の十五日間、お前たちはどういう気持ちで過ごしてきたか、いってご覧なさい」すると誰も返事ができなかった。すると雲門は「私がいおう」といって、こう答えた。「日日是好日。どの日もどの日も、明るい心、朗らかな気分で暮らしてきた。好い日ばかりが続いた」。「日日是好日」とは、必ずしも高い位に上ることでもなければ、たくさんのお金を持つことでもない。毎日毎日、明るく朗らかな気持ちで過ごして、「今日も好い日だったなあ」といえるような生活を送ることである(以上、渡部昇一「人生を創る言葉」致知出版社より)。我々は、1日1日死に向かって歩んでいる。私も55歳を迎え、先輩や幼なじみの死に遭遇して、1日たりとも無駄にはできないと大切な時間の重みをひしひしと感じているこの頃である。無限に時間があると思い、無為な時間を多く過ごしてしまった学生時代が如何にもったいなかったことか。「あー今日も一日たくさんの患者さんをしあわせにできた」と心底喜べる、そんな一日を送っていきたい。
 私にはスポーツクリニックの仕事を通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という大きな夢がある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。加えて、このクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めている。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンはきちんと留める」「スリッパをきちんと揃える」「診察券は両手で受け取る」「診察するときには帽子はとる」など今まで家庭や学校の躾で自然と身についていた小さな当たり前のことをきちんとできるように指導している。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただいた。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。手術件数は244例(うち関節鏡手術189例、77%)でした(表1)。昨年より27%の増加となった。この増加は、ご縁があって四国松山の病院で関節鏡手術とスポーツ外来をする機会をいただいたことが大きく影響している。四国はスポーツが盛んな割に、スポーツ医学がまだまだ浸透していない地域が多いと伺った。トータルサポートとトータルケアのコンセプトを四国に根付かせ、四国のスポーツの発展に少しでもお役に立てればと思っている。
 またトレーナー会社KCP (Kamimoto-Conditioning&Performance)も3年目となり経営も軌道に乗ってきた。クリニックのトータルサポートの連携に加え、パーソナルトレーニング、介護通所リハビリテーション、サッカーJ2チームのトレーナーサポート、ヨガ教室など対外的な活動も増えてきた。5月には地域への啓蒙を目的に各教室をコラボしたKCPフェスタを開催した(写真2-1,2:KCPフェスタのちらし)。

写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
写真2-1,2:KCPフェスタのちらし
写真3:アニマルフロー

身体機能の改善を目指したヨガ(私もチャレンジしたが、汗をがんがんかいてマジきつい!がちがちの体育会系もトレーニングにこのヨガを取り入れているってご存知でしょうか?)、目的別(ボディメイク、ダイエット、持久力アップなど)のパーソナルトレーニング、さらに小学生を対象としたアニマルフロー(動物の動きを取り入れたトレーニング)によるかけっこ力アップ教室(写真3:アニマルフロー)の3本立て。ここ数年特に注力しているのは、こどもたちの運動能力の底上げである。私自身小学高学年、中学生のけがの原因のひとつに、小学低学年の運動能力の低下にあると感じていた。小学生は神経系の発達に大切な時期である。親御さんも「スポーツをやらせれば、成長に必要な運動能力が養われる」と期待して、単一のスポーツをこどもにやらせる。同年齢でも実に6年程度の運動能力の差のある成長期に、同じ練習メニューを与えればケガを起こしてしまうのも仕方がない。スポーツをする前の準備として必要な運動能力の獲得(内容とタイミング)が重要なのである。まさに我々昭和世代が幼い頃に近所の仲間と毎日やっていた鬼ごっこ、缶蹴り、丸書きなど遊びから自然と培われた運動能力なのである。今後は、スポーツもやっていなかった小学校の先生が苦し紛れにやる学校体育ではなくて、運動のスペシャリストである我々が学校とコラボしてこどもたちを指導していくことも提案していきたいと考えている。その方が学校の先生の業務とストレスの削減につながるであろう。

 さらに、今年は国際交流にもチャレンジした。1月にサンディエゴ大学の交換留学生を受け入れ、2日間にわたって、クリニックでの運動指導を体験してもらった。アニマルフロー、バランストレーニング、相撲大会(日本の文化体験)など。学生達からプログラムの中で、「一番ためになり楽しかった」と高評価をいただいた。拙い英語でも思いは伝わるものである。スタッフにとっても貴重な経験になったと思う。(写真4:記念写真)。

写真4:記念写真
写真4:記念写真

リーダーには、鳥の目と虫の目と魚の目が必要不可欠である

東急不動産ホールディングス会長 金指 潔

 リーダーは経営や組織の運営に関して、実に多岐にわたる判断をしなければならない。したがって、大所高所から広い視野で物事全体を見る目(鳥の目)を持ち、多くの情報の中から必要なものを選択する。また、お客さまとの接点といえる現場の目(虫の目)で、地べたを這うように細部にわたって分析し、結論を導き出す。そして、時代の流れを見極める目(魚の目)で、変化をいち早く察知して未来を展望し、次の一手を決断する(人間学を学ぶ月刊誌 致知2019年8月号 「後世に伝えたいこと」より)。開業当初は、医療の質(診断能力や手術の腕)さえ高ければ、経営はうまくいく、ひとは勝手についてくるものだと大きな勘違いしていた。この14年間は、さまざまな壁にぶつかりながら経営者として実に多くのことを学ばせていただいた。これからも、3つの目を養いながら、新時代に必要とされるクリニックを優秀なスタッフたちとともに運営していきたい。

 こどもたちのけがをひとりでも多く救いたい。けがの治療だけではなく、その原因を解決してけがを繰り返さない身体になってほしい。そして、大人になってもずっと好きなスポーツを続けてほしい。そんな思いで栃木県佐野市にスポーツクリニックを開業して14年が経ちました。現在では、県内はもとより、近県からも苦しむ選手たちがたくさん来院してくれています。治療のコンセプトは、“自分で気づいて、自分で変わる”です。選手自身が“自分がなぜけがをしたのか”という原因に気づき、“どうしたらよくなっていくのか”という治療のプロセスを理解し、自主的積極的に変わっていかなければまた同じけがを繰り返すことになってしまいます。実は、けがは辛く苦しいことですが、心も体も頭も成長することのできる大きなチャンスなのです。その大きなチャンスをつかんで、笑顔を取り戻した選手と一緒にその喜びを共有できることは、スポーツドクターとして大きなやりがいとなっています。ケガを乗り越えていくには、多くの人たちの応援が大切です。社会全体でこどもたちの成長を支えていく。その絆の大切さを聖火ランナーを通して伝えたいと思っています。

 こどもたちのけがをひとりでも多く救いたい。けがの治療だけではなく、その原因を解決してけがを繰り返さない身体になってほしい。そして、大人になってもずっと好きなスポーツを続けてほしい。そんな思いで栃木県佐野市にスポーツクリニックを開業して14年が経ちました。現在では、県内はもとより、近県からも悩む選手たちがたくさん来院してくれています。治療のコンセプトは、“自分で気づいて、自分で変わる”です。けがは辛く苦しいことですが、心も体も頭も成長することのできる大きなチャンスです。その壁を乗り越えて笑顔を取り戻した選手と共にその喜びを共有できることは、スポーツドクターとして大きな生きがいです。またけがを乗り越えていくには、多くの人たちの応援が必要です。社会全体でこどもたちの成長を支えていく。互いに応援し支えあう絆の大切さを、聖火ランナーとして聖火をつなげることで国民のみなさまに伝えたいと思っています。

 資金も地盤もない中でアスリートをターゲットにしたクリニックを軌道に乗せるために、経営理念、戦略、実践の3つの要因を明確にすることとした。経営理念は、「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多く幸せにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」である。これをスタッフに徹底することで、クリニックの目指す方向性を共有した。経営戦略はリスクの軽減と業務の集中化を図った。リハビリに特化していくため、看護師や薬剤師は雇用していない。採血、注射、投薬はすべて院長自らが兼務している。経営実践として、子供たちが受診しやすいように診療時間を午後1時から9時までにシフトし、午前中毎日関節鏡手術ができる体制を作った。手術は2つの関連病院で、年平均200例(うち関節鏡手術平均164例、82%)を行っている。サブスペシャリティとしての関節鏡手術は、合併症リスクの少ない若年者を対象としており、入院期間が短い(通常2泊3日)、侵襲も少なく手術時間も短いので午前中で対応できるというメリットがある。また手術する関連病院のメリットとして、後輩への関節鏡手術の指導教育、専門的手術が実施されるという病院としての付加価値の向上、短期入院によるベットコントロールの改善があげられる。
 オペるスポーツクリニックを開業したことで3つの誇りを持ち続けることができている。外科医としての誇りと最前線で患者と向きあう臨床医としての誇り、そして選手たちを復帰までサポートしているというスポーツドクターとしての誇りである。

 選手たちを一日も早く現場復帰まで導く上で、大切にしている3つのトータルという考えがある。トータルサポート、トータルケア、トータル・ネットワークである。トータルサポートは、けがの診断から治療プランの立案、メディカルさらにアスレティック・リハビリテーションの実施を一貫した流れをもって選手に提供して一日も早い現場への復帰をサポートすることである。トータルケアは、けがをした局所の部位だけでなく、その原因になっている全身のコンディションにまで目を向けて、同じけがを二度と繰り返さないようなトータルな身体つくりを目指すことである。トータル・ネットワークは、選手をとりまく指導者・トレーナーや親と密な連携をとり選手の情報を共有しながら、スムースな復帰につながるようトータルなネットワークづくりを目指すことである。
 このトータルネットワークづくりに親・指導者の協力体制が欠かせない。ただ休みなさいと湿布を処方されただけでは選手は振り向いてくれない。「何ができて、何ができないか」を明確に提示しなければ指導者の信頼を得ることはできない。やはり、成長期のスポーツ医療において、「よく聴く」「寄り添う」「応援する」という3つの姿勢が最も大切であると考えている。

 私達のクリニックは、選手たちを一日も早く現場復帰まで導く上で、大切にしている3つのトータルという考えがあります。トータルサポート、トータルケア、トータル・ネットワークです。トータルサポートは、けがの診断、メディカル・リハビリさらにアスレティック・リハビリテーションを一貫した流れをもって選手に提供して一日も早い現場への復帰をサポートすることです。トータルケアは、けがをした局所の部位だけでなくその原因になっている全身のコンディションにまで目を向けて、同じけがを二度と繰り返さないようなトータルな身体つくりを目指すことです。トータル・ネットワークは、選手をとりまく指導者・トレーナーや親と密な連携をとり選手の情報を共有しながら、トータルなネットワークづくりを目指すことです。このトータルネットワークづくりには、選手を取り巻く多くの人たちの理解と協力が欠かせません。その人との結びつきを大切にする思いを院長は、聖火ランナーとして示してくれると思います。

開業だより2018

写真1:全体集合写真

 開業して14年目を迎えることになる。今年は柔整師1人の増員、4人の減員というスタッフの移動となった。(写真1:全体集合写真)増員となった彼は、トレーニングも指導できるような柔整師になりたいという夢をもって入職してきた。当院では、柔整師は急性期管理、PTはメディカル・リハビリ、トレーナーはアスレティック・リハビリを担当するという一応役割分担をしているが、究極的には互いの職種を理解し、それぞれを融合させながら連動させていくトータルサポートを目指している。新人の彼には、トレーニングにまで目を向けながら、急性期の病態をしっかり管理できる視野の広い(当院の目指す)理想的な柔整師に成長してほしいと期待している。去っていったスタッフたちは、それぞれ新しい夢がみつかり再出発したいということであった。クリニックで学んだことを活かして、ぜひ次の夢を実現してほしいと願っている。スタッフたちには常日頃より、「人生に無駄なことは何ひとつない」という話をしている。私自身自治医大卒業生なので、出身県(鳥取県)の事情により義務年限が終わる9年目から整形外科を学び始めることになった。随分とまわり道をする(と当時は真剣に思っていた)ことになり、同級生とは周回遅れの整形外科医になってしまうと落ち込んだ時期もあった。しかし振り返ってみると、そんなことはないのである。内科では、胃、大腸、気管支鏡のカメラワークを身につけたおかげで、現在の関節鏡技術の基礎ができた。診療所では、どんなことでも自分でやる(ドクターはひとり、診療所の2階が住居、夜間は看護師もいない)という医療姿勢が身につけた。そのおかげで、“看護師を置かないで自分で採血する”“検査技師を置かないで自分で心電図をとる”“薬剤師を置かないで自分で薬を袋に詰める”というリハビリのみに特化した究極のスポーツクリニックという診療スタイルを生み出すことにつながった。外科では、自分で麻酔をかけて、自分で手術(虫垂切除、胃切除、大腸切除、腹腔鏡下胆嚢摘出術など)をする(もちろん外科の先輩はついてくれていた)という外科医としての度胸が身についた(現在は、自分で麻酔をかけて手術しようなんて無謀なことはしないが)。すべてが現在の医療人としての自分を形作っているのであり、すべてに意味があるのである。実はそのことに気づいたのも、開業をしてクリニックのビジョンとは何か、スポーツドクターとしての果たすべき使命とは何か、を意識するようになってきてからである。


「常に人たることを忘るること勿れ。他の風俗に倣うことの要なし。人格をはなれて人なし。ただ人格のみ、永久の生命を有す。(略)
常に高く遠き処に着目せよ。汝若し常に小なる自己一身の利害、目前の小成にのみ心を用いなば、必ずや困難失敗にあいて失望することあらん。然れども汝もし常に真によく真理を愛し、学会進歩のため、人類幸福のため、全く小我をすててあくまでも奮闘し、努力するの勇を有さば、如何なる困難も、如何なる窮乏も、汝をして失望せしむるが如きことなからん。真の大事、真に生命ある事業はここに至ってはじめて正しき出発点を見出したりというべし。
進むべき 道は一筋 世のために
いそぐべからず 誤魔かすべからず」

 (元京都大学総長 平澤興先生)
「小さな経営論 藤尾秀昭著 致知出版社」より


 以上は、平澤先生が二十歳の元旦未明に起きて、天地神明を拝して座右の銘として墨書したものということである。これを最初に読んだときには、脳天から雷に打たれたような衝撃が走った。二十歳の頃の私は一体何をしていたか。如何にして授業をさぼるかばかり考えていた。如何に楽をして単位を取るかということだけに腐心していた。医学部に合格することが目標だったので、入学した後の自分は何の夢もなく空っぽのままであった。学生時代の唯一の誇りは、6年間最後までサボることなくラグビーに夢中になって続けられたことである(東医体13連覇の土台を創ったのはちょっとした自慢かも)。医者になるのが目標ではない。医者は天から与えられた使命を果たすための道具に過ぎない。ましてや、医学部に入学するのが最終目標ではないだろう。そんなことをやっているから、某医大の不正入学ような事態が発生するのである。 

「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」

(中国の明代の儒学者、思想家 王陽明)

表1
表1

※表1

 山中の賊のように、他人と争って相手を負かすことはたやすいが、心中に蔓延る私利私欲の賊を克服できることは容易ではない。ひとは、慢心(うぬぼれ)、傲慢(おごり)、嫉妬(やっかみ)という心の病に襲われる。その病を打ち負かすには、野心や野望という個人の欲望ではなく、世のため、ひとのために尽くすという高邁な“志”しかない。

 私にはスポーツクリニックを通じてけがをしたこどもたちと接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元氣な国にしていく」という夢がある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。加えて、このクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にもこどもたちに求めている。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンはきちんと留める」「スリッパをきちんと揃える」「診察券は両手で受け取る」など今まで家庭や学校の躾で自然と身についていた小さな当たり前のことをきちんとできるように指導している。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただいた。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。手術件数は193例(うち関節鏡手術139例、72%)でした(表1)。昨年より8%の減少となったが、視力と氣力の続く限り、関節鏡手術を続けていきたいと考えている。

キャンプのちらし

 また昨年に立ち上げたKamimoto-Conditioning&Performance(KCP)というトレーナーの会社が今回はじめてこどもたちを対象としたサマーキャンプを8月4日にクリニック内のPFCCで開催した(写真2:キャンプのちらし)。対象は、幼稚園の年中、年長および小学1,2年生である。運動(遊び)を通じたからだづくり、そしてこころづくりでこどもたちの成長を応援したいという思いからである。“運動嫌い”のこどもが増えたという話を聞くが、実はその多くは運動嫌いではなく、スポーツ嫌いらしい。スポーツでは他人と比較され、順位づけられ、いつも枠の中で競争させられる。すべてのこどもが1位になりたいわけではなく、またなれるわけでもない。無理に競わせることで、できないこどもはスポーツ嫌いになっていく。確かに幼少期から動くことが嫌いなこどもはいないだろう。運動すること(体を動かすこと)の楽しさを知れば、それは習慣となり生涯の財産となるはずである。
今回は、運動(遊ぶ)するだけでなく、習字を学んで集中力をつけたり、食べることの大切さも栄養の面から学んでもらった。

子供たちが嬉々として芝の上を裸足で走り回る姿は久し振りに見たようで何だかほっとした気分になった(写真3)。また親御さん達には、成長期に必要な調理法も勉強してもらった。すべて、スタッフがそれぞれの得意な分野をもちよった手作りのキャンプであった。お昼は一緒におにぎりと豚汁と作ってみんなで食べた(写真4)。同じものをみんなで一緒に食べると何だか心もつながっているような気持ちになる。共食の重要性を改めて実感する。またスタッフがこんなさまざまな得意技をもっていることにはとても驚いた。日常の診療では眼にすることのない新たな可能性を感じる。仕事以外にもこのような形でスタッフたちが社会に貢献できるような場を増やしていきたいと思う。今回のキャンプも、実はクリニックビジョンの延長にあり、将来の日本を担うたくましい子供たちに育ってほしいという願いからである。

こどもたちにはこのようなキャンプを通して、“3つの自(自信、自立、自律)”を養ってほしいと考えていた。できなかったことができるようになる自信、言われてから動くのではなく自分から行動していく自立、怒りなど自分の感情をコントロールできる自律、どれも良好な人間関係を構築し自分の夢を実現していくためには不可欠な能力である。今後も年に1回ぐらいは開催しながら、地域に発信していきたいと考えている(写真5:全体記念写真)。

写真6:新人歓迎会

我々は医療のプロである。プロとアマの違いは何か。
プロは、
 1 ) 自分で高い目標を立てられる
 2 ) 約束を守る
 3 ) 準備をする
 4 ) 進んで代償を支払おうという気持ちを持っている
                  (プロの条件 藤尾秀昭著 致知出版社)

 プロは自分で高い目標を立てて責任を持って挑戦していこうとする覚悟をもっている。プロは報酬にふさわしい成果を相手の期待以上に出せる。相手との約束、社会との約束、そして自分との約束を守れるということである。プロは絶対に成功するために、徹底して準備をする。プロは高い能力を獲得するために、時間とお金と努力を惜しまない。犠牲をいとわない。代償を悔いない。最高のスタッフとともに、本物のプロであり続けたいと思う(写真6:新人歓迎会)。

開業だより2017

 開業して13年目を迎えることになった。今年もPT4人、柔整1人、トレーナー1人と6人の仲間が増えた。特に増やそうという経営方針ではなかったが、ここで自分の夢を実現したいという強い要望だったので、一緒に仲間に加わってもらった。過去最大の総勢24名(1名は産休中)という大所帯となった(写真1)。少しでも学びたいという彼らの向上心は、私自身とても大きな刺激となっている。若さは何物にも代えがたい無限の可能性を秘めた巨大なエネルギーである。彼らから学ぶことも多く、はっと気づかされ、自分の診療を見直すこともある。クリニックビジョンを共有しながら、共に成長していきたいと考えている。

 話はがらりと変わるが、昨年9月からゴルフを始めた。福島県いわき市で開業している親友の強烈な勧めで、12年ぶりにクラブを握ることになった。12年前の開業当時、医師会の先生方に誘われて、少しかじってみたが、自分にはセンスが全くないとすぐにあきらめていた。だが今回は何だかおもしろく感じており、あきらめないで続けられている。毎回違った気づきを与えられ、少し上手くなったつもりで次に向かうがまた跳ね返される。棒切れ1本で小さなボールを何百ヤード先の小さなカップに入れるという壮大なボール運びに今夢中になっている自分がいる。実は、昨年7月にスタッフの有志が集まり、ゴルフ部を結成した。この7月には福島県いわき市にスタッフみんなでゴルフ合宿にでかけた(写真2)。普段の仕事ではみることのない彼らの表情や言動は実に新鮮であり、自分の子どもと同じような年齢のスタッフに愛おしくまた可愛くなってしまった。やりがいのある職場づくりにしっかり取り組まなければと改めて思う。

ゴルフから生まれた友情は、宇宙飛行士や極地の探検家たちのそれと同じに

俗事を超越した共通の感慨に基づいて成り立っている。太っていようがやせていようが

スクラッチであろうがダファーであろうが、ぼくらはみんなゴルフをしたことがない

人々には絶対味わえない境地を共に体験してきているからだ

     (ジョン・アップダイク)

 こんな心境になれるのはいつだろうか。しかし、新緑が鮮やかなフェアウェイをゆっくりと自然に包まれながら歩くのは何ともいえない爽快な気持ちになる(大抵は、斜面を駆け上ったり、崖を駆け下りたりと汗だくだが、、、)。ある先輩が、一日ラウンドしてみると、同伴者の性格が手に取るようにわかるようになると仰っていた。ある友人とラウンドしているとき、カートまでクラブを取りに行くのが面倒で、手持ちの番手の違うクラブで打とうとしていたら、同伴者が「きちんと距離にあったクラブを選ばないとだめですよ。」と窘められた。普段、とくに道具を選ばず、手持ちのあるもので手術をしているくせがついつい出てしまった。やはり、きちんと距離を測って、適した番手を選ばないとスコアアップにはつながらない。「万物わが師」。全てが学びである。

 私にはスポーツクリニックを通じて選手と接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしていく」という夢がある。最高の関節鏡手術、さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服してけがをする以前より高いレベルで現場復帰できるようサポートしている。加えて、このクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも選手に求めている。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンはきちんと留める」「スリッパをきちんと揃える」「言葉の語尾ははっきりさせる」など今まで家庭の躾で自然と身についていた小さな当たり前のことをきちんとできるように指導している。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただいた。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。手術件数は211例(うち関節鏡手術161例、76%)でした(表1)。視力と気力の続くうちは、関節鏡手術を続けていきたいと考えている。

 またこの1月より、K-conditioning&performance(KCP)というトレーナーの会社を立ちあげた。幼児体育、学校体育さらには自治体、企業への運動指導など運動を通して、社会そして未来の日本を確かなものにしていきたいと思い、外に出ていって活動できる体制をつくった。「未病を治す」ではないが、これからは健康寿命を延伸させるために、あらゆる世代に正しい運動を通して、心と体の健全な社会創りに貢献していきたいと考えている。

 吉田松陰は、安政元年3月27日、金子重輔と共に伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り込もうとして失敗し、下田の牢につながれた(いわゆる“安政の大獄”である)。一夜明け、松陰は牢番に「昨夜、行李が流されてしまって、手元に本がないから、何かお手元の本を貸してくれませんか」と頼んだ。牢番はびっくりして「あなたたちは大それた密航を企み、こうして捕らえられて獄の中にいるのだ。どうせ重いおしおきを受けるのだから、こんな時に勉強しなくてもいいのではないか」この牢番の言葉に松陰はこう応えた。

「凡およそ人一日この世にあれば、一日の食を喰らい、一日の衣を着、一日の家に居る。

なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや」

(ごもっとも。しかし自分がおしおきになるまではまだ時間がある。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。人間というものは一日この世に生きていれば、一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるなら、一日の学問、一日の事業を励んで、天地万物への御恩に報いなければならない。この義が納得できたら、ぜひ本を貸してもらいたい)

 牢に入って刑に処せられる前になっても、松陰は自己修養、勉強を止めなかった。無駄といえば無駄なことなのかもしれない。人間はどうせ死ぬものである。いくら成長しても最後には死んでしまうことに変わりはない。この<どうせ死ぬのだ>というわかりきった結論を前にして、どう生きるのか。松陰は、どうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くして生きようとした。現在、<どうせ死ぬんだから><どうせ何をやっても変わらないんだから>「今さえよければいい」「自分さえよければいい」「お金さえあればいい」という刹那的な風潮が世の中に蔓延している。こうなると社会が荒廃し、人心も荒んでくる。一番うるさく文句を言う人(過剰に反応する人)の言い分を最優先に聞くべきというおかしな時代の流れを感じる。SNSやメディアにも乗って、そういう奴が悪乗りして、社会がどんどん萎縮する。“除夜の鐘がうるさい” ので大みそかに鐘をつかなくなった。“盆踊りの音がうるさい”ので夏祭りが中止になった。というニュースも聞いた。これこそ日本文化の破壊である。医療も例外ではあるまい。モンスターが跋扈して、我が物顔で怒鳴り散らす。医師の応召義務に対するとらえ方も根本的から変えるべきであろう。互いに許しあう、互いに譲り合う、そして次世代に夢を繋いでいく。そんな世の中にしなければならない。

 最近、ちょっと夢のある話を聞いた。2010年 日本の小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」からサンプルを持ち帰るという人類初のミッションを成功させ、全世界を驚かせた。その名前の由来となった人物が糸川英夫(1912‐1999)である。日本のロケット開発の父といわれ、もともとは飛行機の設計技師であった。大東亜戦争中、海軍のゼロ戦と並ぶ陸軍の名機と絶賛された戦闘機「隼(はやぶさ)」を設計し、日本の航空業界を引っ張っていく人物と期待されていた。しかし敗戦により、GHQの戦後政策(日本を骨抜きにして、二度と米国に刃向かうことのないようにさせる政策)により飛行機の製造や研究を全て禁止されることになった(米国は日本の航空研究の高さを非常に恐れていたのである)。技術者は、その職を失い、鍋や窯を造る職人に転身する者までいた。そんな中で、糸川氏はロケット開発に眼をつけたのである。米国やソ連が国の威信をかけ国家的プロジェクトとして開発していた分野に、敗戦国の一介の研究者が挑戦したのである。日本国産のロケット開発をゼロから立ち上げるという壮大なチャレンジである。わずか23㎝のペンシルロケットの開発という奇想天外なアイデアを生み出しながら、開発15年を経て、昭和45年2月11日、日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げることに成功した。糸川氏は、日本人が敗戦により立ち上がれないような状況の中で、何か多くの若者を巻き込むようなプロジェクトを立ちあげようとがんばろうとしたそうである。ないものを嘆くのではなく、あるものに目を向けながら、足りないことに不満を言わず常に前向きに考える。糸川氏は、「人生で最も大切なものは、逆境とよき友である」と仰っている。これからもどんな困難にもスタッフと一緒に立ち向かいながら、日本中どこを探してもないオンリーワンのスポーツクリニックを創るという夢を追い続けていきたいと思う。

開業だより2016

 四年に一度のスポーツの祭典、リオ五輪が開幕した。日本代表の大健闘による連日のメダルラッシュに日本中が湧いている。二回り以上も若い選手たちが、世界を相手に堂々と表彰台に立っている姿はとても誇らしい気持ちになる。しかも、同じ種目にもトップを狙えるライバルが存在するというのも実に頼もしい。水泳の萩野選手と瀬戸選手、体操の内村選手と白井選手などである。互いに切磋琢磨しながら、高い目標に向かって、たゆまぬ努力を積み重ねた結果であろう。振り返って、そのような存在がないと成長できないかというとそうともいえない。松下幸之助氏は、「万物はわが師」と仰った。周囲のひとばかりではなく、日常の自然の中にも学びはたくさんある。道端にひっそりと生える草花、ひらひらと舞い落ちる葉、、、。小さな気づきの中に日々の成長を見出していきたい。今年はPT 5人、トレーナー 1人と6人の仲間が増えた(写真1)。みんなそれぞれが個性的で、向上心も高く、日々大きく変化成長している姿は実に頼もしく感じている。彼らから学ぶことも多く、共に成長していきたいと考えている。

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず

           (佐藤一斎:言志四緑) 


 青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。壮年時代に学べば、老年になって気力が衰えない。老年時代に学べば、死んでもその業績は朽ちることはなく次世代に引き継がれる。佐藤一斎は七十歳の時に江戸幕府が設立した唯一の大学である昌平坂学問所を統括する儒官(今でいう、東京大学の総長)となる。学問所では、佐久間象山、渡辺崋山、横井小南ら三千人の門弟を育て、幕末から明治維新の激動期の日本を支えた指導者たちに多大なる影響を与えたといわれる。老衰というのは、単に体力が衰えたということだけでなく、向上しようとする意欲が衰えたことをいうのかもしれない。いつまでも学ぶという意欲を持ち続けていたいと思う。

 私にはスポーツクリニックを通じて選手と接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしていく」という夢があります。最高の関節鏡手術さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服して現場復帰できるようサポートします。さらに、このクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めています。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンは留める」「スリッパを揃える」「言葉の語尾ははっきりさせる」など小さな当たり前のことをきちんとできるように指導しています。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただきました。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。手術件数は198例(うち関節鏡手術148例、75%)でした(表1)。昨年8月より、足関節前距腓靭帯損傷に対し鏡視下修復術を開始した。骨付着部の損傷と適応は限定され、10数例とまだ少数例であるが、思いのほか術後の腫脹や疼痛は軽度であり、スポーツ復帰も早いことがわかりました。栃整会にも報告しており、今後も症例を重ねていきたい。さらに、山室先生さらに井上先生のご指導を仰ぎながら、内視鏡下ヘルニア摘出術(MED)を学んでいる。これで、手術も含めて選手の全てに関わり現場復帰まで支援するトータルサポートが完成することになる。

 またこの9月より、介護予防通所リハビリテーション「シルバーボディメイク」をスタートさせる。要支援者が対象であるが、11年間培った身体のコンディション作りのノウハウを今度は介護のお世話にならないように高齢者を元気にするために投入したいと考えている。食事サービス、入浴サービスなど何でも与えるばかりでは、依存的な高齢者を増やすだけで近い将来この国の福祉事業も行き詰ることは明らかである。「自分で立ち、自分で歩き、自分で生きる」をコンセプトに、一人ひとりが互いに心の通い合える自律したそして国や自治体のお世話にならない自立した高齢化社会に貢献していきたいと考えている。

一、 世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事をもつ事です

一、 世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です

一、 世の中で一番さびしい事は、仕事のない事です

一、 世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です

一、 世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です

一、 世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情をもつ事です

一、 世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です 

                      心訓七訓 福沢諭吉 


 この七訓のうち、仕事に関することが二つも含まれている。人生にとって、いかに仕事というものが重要であるかを物語っている。クリニックを開業して、医師としての天命を知り、この仕事が続けられることを心からしあわせに思っている。ただ、十年、二十年先を見据えたとき、やはりこのスピリットを次世代に伝えたいという思いがここ数年大きくなってきた。中国古典『管子』に次のような言葉がある。「一年の計は穀を樹うるに如くは莫(な)し。十年の計は木を樹うるに如くは莫し。終身の計は人を樹うるに如くは莫し」(一年の計画を立てるなら、その年に収穫できる穀物を植えるのがよい。十年の計画を立てるなら、木を植えるのがよい。一生涯の計画を立てるつもりなら、人材を育成することである)。5月には第二診察室を増設し、このクリニックのスピリットに共感してくれる後輩を受け入れる準備を始めたところである。関節鏡手術を学び、一人でも多くの選手をしあわせにしたいという志の高いスポーツドクターの出現を心待ちにしている。

なぜめぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない

いつめぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない 

                    糸 中島みゆき(1991) 


 いまや結婚式では定番となった名曲である。ひとは誰と出会うかによって、人生が大きく変わる。国民的教育学者である森信三先生は、「人生は一生のうち、逢うべき人に必ず逢える。それも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないうちに」と仰っている。実は誰と出逢うかはそのひと次第であり、常日頃どのような準備をしているかにかかっている。このクリニックの出会いが選手たちの人生を変えられるような感動を与える仕事をしていきたいと考えている。自分の立ち位置を知り、目指すべき方向を見定めながら、今年も1歩1歩しっかりとした足取りで歩んでいきたいと思っています。今後とも変わらぬご指導お願いいたします。 

開業だより2015

 開業してこの6月で10周年を迎えることができた。この開業だよりも10回を数えることになる。ある後輩の先生から、「開業だより、毎年楽しみにしているんですよ。」という思いがけないことばをいただいた。その歳年を振り返るきっかけと今後の覚悟にしたいという思いで投稿を続けていたので、とてもうれしくありがたい気持ちになった。若い先生方に、「人生とは何か」「働くとは何か」「医療とは何か」少しでも心に響くものがあれば望外の喜びである。

 “十年ひと昔” とは、これだけ時の流れが早くなった時代にはそぐわないかもしれない。実際、開業当時の光景が鮮やかに甦ってくる。家族も含め、ほとんどのひとから「スポーツクリニックなんて無理だよ」と反対されたスタートだった。確かに医療保険の知識などほとんどなく、初診料がいくらかさえ知らない恥ずかしい状況であった。ただ「スポーツを通してこどもたちを元氣にしたい」という情熱だけを携えた船出であった。今振り返れば、よくそんな浅薄な考えで無謀な開業をしたものだと思う。そんなトップであるから、多くの失敗をし、また多くの仲間が去っていった。全てトップである私自身の経営感覚の欠如とリーダーシップ力の無さに尽きる。それでも、そこから多くの気づきと学びがあり大きく成長させていただいた。そして、現在同じビジョンをもって、ともに汗を流してくれている16人のスタッフに改めて心から感謝したい。そんな感謝の気持ちと今後の期待も込めて、2月に10周年記念旅行としてイタリアにでかけた(写真1)。私自身はじめてのヨーロッパであったが、何だか懐かしい気持ちになった。「10年後もまた来ようね。」とスタッフたちと誓い合った。

 10年、20年と続いていく経営をするためには、やはりぶれないビジョンとコツコツと積み重ねる努力ということに尽きるだろう。「多くのひとは、目先の欲、自分だけの利益を求めるからうまくいかない。商売とはいうものは、いかに目先の逆、いかに遠くを計るか、それが勝負である」とは、塚越寛(伊那食品工業)社長のことばである。朝三暮四という『荘子』斉物論にでてくる故事がある。飼っていた猿に木の実をやるのに、朝3つ夕4つやったら、猿が少ないと怒りだしたので、朝4つ夕3つにしてやったらたいそう喜んだそうだ。目先の利害に捉われて、結果が同じことを見抜けないという話である。こんな猿には決してなるまいと思う。

遠きをはかる者は富み 

近くをはかる者は貧す

それ遠きをはかる者は百年のために

杉苗を植う。

まして春まきて秋実る物においておや。

故に富有なり

近くをはかる者は春植えて

秋実る物を尚遠しとして植えず

唯眼前の利に迷うてまかずして取り

植えずして刈り取る事のみ眼につく

故に貧窮す

                 二宮尊徳


 私にはスポーツクリニックでの選手の治療を通じて、「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしてほしい」という夢があります。最高の関節鏡手術さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服して現場復帰できるようサポートしています。さらに、けがをしたことによるクリニックとの出会いを通じて日本人本来もっている精神性の回復にも努めています。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンは留める」「スリッパを揃える」「言葉の語尾ははっきりさせる」など小さな当たり前のことをこどもたちにきちんとできるように指導しています。

 そんな中で、先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながらこの1年も多くの手術をやらせていただきました。手術件数は185例(うち関節鏡手術139例、75%)と例年通りでした(表1)。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。

 また、7月には日本臨床整形外科学会 維新学会(山口)のシンポジウム「整形外科医の未来像」にシンポジストとして参加する機会を与えていただきました。敬愛する吉田松陰の生誕の地でもあり、とても気合が入りました。未来像とは、「次世代に理想像を押しつけること」ではなく、「次世代に何を残していくか、何を伝えていくか」ではないかと思っています。では、自分自身は次世代のために何をやっているか。

1) 関節鏡手術手技勉強会:年2回、16回を数えます。前半は、肩、膝、股関節のドライラボを使って、若い先生方に関節鏡のいろはを伝えます。後半は、自分の関節鏡ビデオを持ち寄って、飲みながら議論します。関節鏡手術の楽しさ、すばらしさを共有していくことが目的です。

 2) 学生実習の受け入れ:母校の地域医療実習の学生を年間3~4名程度受け入れています。「何のために医師になるのか(スピリット)」「スポーツ医療を実践する楽しさ(マインド)」を伝えています。

 3) 某大学スポーツトレーナー学科学生講義:年間30コマ、将来のスポーツトレーナーの卵にスポーツ傷害の講義をしています。悩み苦しんでいる選手たちのいつもそばにいる優秀なトレーナーに育ってほしいと願っています。

  議長の先生から、「午前中、関節鏡手術、午後9時まで外来とそんな生活をいつまで続けるのですか?」という質問をいただきました。「死ぬまで続けます」と答えました。 

内外の状況を深思しましょう

このままで往けば、日本は自滅するほかはありません

我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか

我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか

我々が何とかするほか無いのです

我々は日本をかえることが出来ます 暗黒を嘆くより、一燈を点けましょう

我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう

手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう

一人一燈なれば、萬人萬燈です

日本はたちまち明るくなりましょう

これ我々の萬燈行であります

互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか

                        『萬燈行』安岡正篤 

 何歳になっても、他に依存することなく、自ら考え自ら行動し、社会に果たすべき役割を実践していきたいと考えています。変わらないために、変わり続けていきたいと思っています。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

写真1:バチカン、サンピエトロ大聖堂前にて
表1:平成26年、手術件数 

開業だより2014

 今年の夏も猛暑が続いたかと思えば、各地では記録的な暴豪雨、雷雨が続きました。大気も極度に不安定であり、朝晴れていたのに夕方には激しいどしゃ降りという日もみられました。一部の地域では、土砂崩れや家屋の浸水など厳しい天災にみまわれました。早く元の生活に戻れるよう心よりお祈りします。一方、我が医局もこの1年間はとても不安定でした。人心は離れ、羅針盤の失った難破船のようであり、多くの優秀な後輩たちが去っていきました。それぞれの人生とはいえ、ともに学んだ母校の後輩が去っていってしまうのはこの上ない寂しさであります。これはまさに人災でしょ。そんな中でも、残って踏ん張っている後輩のみなさんには心から感謝するとともに、新教授の下、自分の夢を追い続けながら新医局を盛り上げてほしいと願っています。 小生も50歳を迎え、最近時間の流れが急に早くなってきたと感じています。実は、『ジャネーの法則』というのがあることを知りました。19世紀仏哲学者・ポール・ジャネが発案した法則ですが、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したのです。つまり、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)ということです。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。したがって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たります(以上、ウィキペディアより引用)。何かわかったような、わからないような法則ですが、こんなことを法則にしてしまうということにも驚きです。毎日が楽しく充実して、夢中になって働いていれば、時間が経つのが早いと感じているのは私だけでしょうか。 早いといえば、サッカーW杯もあっという間に終わってしまいました。クリニックでもユニフォームをみんなで揃えて(写真1)、気合を入れて応援したのですが、思いは届かなかったですね。なでしこが世界レベルな分、サムライブルーも当然決勝トーナメントにいけるものと信じていたのは幻想だったのかもしれません。選手たちは、口を揃えて「自分たちのサッカーができなかった」とまるで他人事のように悔やんでいましたが、相手の強いところを抑えて自分たちのペースにもっていくのが勝負です。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とは江戸時代肥前国平戸藩藩主であった松浦静山のことば。負けには必ず原因があり、それも相手や環境にあるのではなく、自分たちの中にあるということです。そこを、“仕方なかった”と流すようでは、また4年後も同じことの繰り返しになるのではと心配です。仕事は相手との勝ち負けではないでしょうが、自分との勝ち負けともいえるでしょう。昨日の自分に負けないように、いい準備をしていきたいと思っています。

いま、ここしかないいのち『にんげんだもの』

                        相田みつを

  最近、時間のありがたさ、もったいなさをしみじみ感じています。20~30歳の頃は、時間は無限にあると思っていましたが、お金で買えるものならあのころの時間を買い戻したい。そんな気持ちにさえなります。といっても実際のところ我々が生きていられるのは、「いま、ここ」しかありません。昨日は過ぎてしまってもうありません。明日は来てみないとわかりません。たいせつな事はいま、ここで自分がどう生きているかということでしょう。人生も、「いま、ここ」の連続です。50歳という年齢も人生を一日に喩えるなら、もう夕暮れ時でしょうか。薄暗くなり、自分の人生を何をよりどころに生きていくか迷いや不安がもたげてきます。『一燈を提げて 暗夜をいく 暗夜を憂うること勿れ 唯 一燈を頼め』(言志晩録より)とは幕末の儒学者、佐藤一斎先生の教えです。人生を暗い夜道に喩えるなら、提燈(ちょうちん)は信念や志ということでしょう。「社会の役に立ちたい、ひとをひとりでも幸せにしたい」という心の灯りであり、信念や志があるからこそ、夜道のような人生も迷わなくて済むのだと思います。

 私にはスポーツクリニックを通じて選手と接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしていく」という夢があります。最高の関節鏡手術さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服して現場復帰できるようサポートします。さらに、けがをしたことによるクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めています。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンは留める」「スリッパを揃える」「言葉の語尾ははっきりさせる」など小さな当たり前のことをきちんとできるように指導しています。先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながらこの1年も多くの手術をやらせていただきました。手術件数は183例(うち関節鏡手術149例、81%)でした(表1)。多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。 

 また、PFCC(Pre-field conditioning center)立ち上げに伴い、アスレティック・トレーナー2名が仲間入りしました。診断からメディカル・リハ、アスレティック・リハそして現場復帰とスムースなトータルサポートを完成させるために彼らの役割は重要になってきます。さらに、小学生を対象としたランニング教室、中高年者を対象とした歩き方教室を始めました。けがや病気にならないための正しい動きつくりを学ぶことが予防となり、さらには医療コストの削減につながっていくのではないかと考えます。

自分には 自分に与えられた道がある

広い時もある

せまい時もある

のぼりもあれば

くだりもある

思案にあまる時もあろう 

しかし 心を定め

希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる

                     松下幸之助 『道をひらく』より

 自分の立ち位置を知り、目指すべき方向を見定めながら、今年も1歩1歩しっかりとした足取りで歩んでいきたいと思っています。今後ともご指導お願いいたします。 

開業だより2013

開業だより2013

今年の夏は、厳しい猛暑の続く中、突発的なゲリラ豪雨が頻発し各地に大きな被害をもたらしました。四国の四万十市は気温41度と史上最高気温として連日話題になりました。確かに春は涼しい、梅雨はほとんどない、いきなり暑い夏と、本来の日本の四季が狂ってしまっていると感じるのは私だけでしょうか。そんな天候も含め世の中に何か漠然とした不安が覆うなか、三浦雄一郎さんの世界最高齢エベレスト登頂、イチロー選手の日米通算4000本安打達成は日本中を活気づかせる世界に誇れる日本人の偉業でした。「老いは怖くない。目標を見失うのが怖い」とは三浦氏。多くの中高年が勇気づけられたのではないでしょうか。私も患者さんが望むなら、80歳まで鏡視下手術をするぞと決意を新たにしました。「4000本は通過点に過ぎず、50歳、5000本が目標だ」とはイチロー氏。常に高い目標を掲げながら日々ひたむきに努力していく。“成功した”、“目標を達成した”と思った時点で、ひとはそれ以上努力することを放棄してしまうものです。イチロー選手は野球のためにあらゆるDNAのスイッチがONになっているのでしょう。成功とは、ゴールに達した姿をいうのではなく、高い目標に向かって前進し続けている姿勢をいうのかもしれません。

クリニックも3月に新しいコンディショニングセンター PFCC(Pre-field conditioning center)をオープンしました。

開業だより2013

現場復帰直前までこのセンターでコンディションを創っていけるようにという意味を込めて命名しました。屋外を意識した全天候型のトレーニングセンターです。人工芝を敷き詰めて、周囲には本格的なタータンのトラックを併設しました。

これで思い切りボールを投げたり、蹴ったり、走ったりすることができます。そうすることでグランドでプレーする自分のいい動きをイメージしながら、けがをする以前のレベル以上の確かなものをここで創っていけると確信しています。PFCCの完成により、私が今まで思い描いていた、診断、手術、メディカルリハビリ、アスレティックリハビリ、現場復帰までがひとつの線でつながり、目指していたトータルサポートが形になりました。あとはどのように発展させていくかが課題です。

このPFCCのコンセプトは、以下の3点に集約されます。

1. 自ら気づき、自ら変わる
けがをする原因はさまざまですが、けがをした部位に原因があることはほとんどありません。例えば、バランスが悪いのか、身体の軸がぶれているのか、スムースな動きがつくれていないのか、など多岐にわたっています。そのけがをした背景に隠れているみえない原因をあぶりだし、そのことに対して自ら理解を深め、どうすれば解決できるのかを学び、自ら実践していく場としてほしいと思っています。このことが一日も早い現場復帰へスムースな移行につながることができ、けがをする以前のレベルよりも身体的にも精神的にもより高いレベルへ復帰できると考えています。

2. さまざまなシーンでの対応力を向上させる
スポーツ医科学の発展により、シューズ、ウェアなどアスリートが着用するものは格段の進歩がみられます。練習環境も温度、湿度などさまざまな工夫がなされ快適になってきています。しかし、便利で快適なスポーツ環境で活動できる反面、私たちの身体自体がさまざまな場面での対応力が衰退している感じがしています。PFCCでは、裸足でもトレーニングのできる環境を創りました。また、暑いときには暑さへの、寒いときには寒さへの適応力を向上させるため、原則冷暖房は使用しないこととしています。

3. 自然とともにあるという感性を磨く
古来、日本人は自然を敬い、畏敬の念をもって自然と共に生きてきた民族です。その誇るべき日本人の感性が消えていくことにより、「自分さえよければいい、今さえよければいい」という短絡的思考、身勝手な傲慢さが社会に横行するようになってきました。PFCCでは、可能な限り、太陽の光を浴び、夜には天の星を眺め、風の香りを感じながら、思う存分トレーニングに打ち込める環境を創りました。若い選手たちが自然と共にあるという感性を磨くことにより、広い視野、先を読む力を身につけ、現場での成績向上につなげてほしいと願っています。

私心をなくす

経営コンサルタントである佐藤芳直さんは、百年企業を創る条件として大切な3つの条件をあげています。1つ目は継続性。会社が永続するためには世のため、ひとのためになっているかということ。2つ目は安定性。会社が着実に成長するビジョンがあるかということ。3つ目は繁栄性。会社の事業が利益に繋がっているかどうかということ。ところが実際は、儲かるを第一に置き、次に安定的に成長するか、最後に会社が続くかという逆から発想しているケースが少なくないのだそうです。このような考え方はやがては倒産に繋がることが多いということです。これは、会社に限らず、クリニック、病院、医局を含めたあらゆる組織に通ずることでしょう。個人の利益はもってのほか、ある特定の集団の利益を目指すようでは組織は永続するはずもないでしょう。組織が行き詰るときは、大概真理に反するとき、つまり自分のことしか考えないとき、あるいは目先のことしか考えないときです。トップとして一番大事な仕事は、私心をなくし、志(ビジョン)を共有し、スタッフが自分の人生を素晴らしいものにできたと思ってくれるような環境をつくることです。

私にはスポーツクリニックを通じて選手と接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしていく」という夢があります。最高の関節鏡手術さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服して現場復帰できるようサポートしています。さらに、けがをしたことによるクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めています。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンは留める」「スリッパを揃える」「言葉の語尾ははっきりさせる」など小さな当たり前のことをきちんとできるように指導しています。先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながらこの1年も多くの手術をやらせていただきました。手術件数は176例(うち関節鏡手術150例、85%)でした。
多くの同門の先生方からもたくさんの選手をご紹介いただき心より感謝いたします。

また、7月には日本臨床整形外科学会 富士山学会(静岡)のシンポジウム「オペる開業医(開業しても手術を続けますか?)」にシンポジストとして参加する機会を与えていただきました。当初は、学会の存在程度しか知りませんでしたが、実行委員であった田中俊也先生から学会参加のお誘いをいただきとても有意義なシンポジウムでした。加えて、清水エスパルスの試合をVIPルームで観戦させていただき大いに盛り上がりました。

私心をなくす
私心をなくす

田中先生ありがとうございました。

シンポジウムでは全国各地から、開業してもメスを置かず、外科医として高い志をもって医療に取り組んでいる先生方の話がたくさん聞けました。自院で手術をやるか、あるいは出張病院でやるかということになりますが、それぞれのおかれた環境で工夫努力されており、自分にとってもいい刺激になりました。私の場合は、関連病院の先生方といいご縁があり、設備投資の必要もなく、スタッフ教育のわずらわしさもなく、ほぼ毎日手術が可能な環境を早期につくることができ、理想に近い形ではないかと思っています。またオペる開業医どおしでブロック毎にネットワークが創れたらおもしろいとも思いました。互いの手術を見学しあったり、新しい情報交換もできる。開業しても手術を続けたいという後輩たちにもアドバイスができる。発展形として研修医などの若い先生がオペる開業医ネットワークに参加して系統的に手術を学べるようなシステム作りも可能ではないでしょうか。もしかしたら“研修は大学病院や総合病院でやるもの”というパラダイムを変えることができるかもしれません。 

私心をなくす
私心をなくす

開業だより2012

今年の夏は、うだるような暑さに加え、オリンピックのすさまじい熱気で寝苦しい夜が続きました。日本選手の懸命なプレーに熱狂し、試合後のインタビューに感動し、編集されたエピソードに熱いものが込み上げる毎日でした。さらにクリニックに通ってくれた身近な選手が活躍する姿をスクリーンを通してみるとベッド上で小躍りしてしまいます。歳のせいか、もう涙腺のバルブは緩みっぱなしです。アスリート達の感動のインタビューを聞いているうちに、ある共通点に気づかされます。彼ら(彼女ら)は、一様に「自分一人のちからではここまで来られなかった」「周りの多くのひとに助けられながらやってこられた」「励まして支えてくださった多くの人たちに感謝したい」と口々に応えます。決してマスコミ受けのために用意された答えではないでしょう。一道を究めようとしてきた人は、どうしようもない困難に直面したとき、有形無形の力に後押しされてそれを乗り越えられたことを実感するのでしょう。ひとの可能性は無限大ですが、その可能性の扉を開く(運命を拓く)のはひとりの力では限界があります。そこにひとは有形無形の出会いにより生かされていることを実感します。医療はチーム活動ですが、ドクターだけでは何も物事は進まないでしょう。さまざまな出会いによりチームが結成されます。クリニックも8年目を迎えましたが、これまでにさまざまな困難に直面しました。振り返ってみると、その時々で多くの力に支えられて乗り越えられてきました。共に働いてくれるスタッフたちに感謝です。


なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる(西行)

(どなたさまがいらっしゃるかよくはわかりませんが、おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません)


平安末期の有名な歌人である西行が、伊勢神宮にお参りした際に詠んだ歌です。日本人の精神性の奥深さを彷彿させる見事な歌です。日本はもともと神仏習合の多神教で、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)であり、あらゆるものに魂が宿ると考えてきました。幼少の頃、やんちゃな私にばあちゃんは、「隠れて悪いことをしても、ちゃあんとお天道様はみてる」と諭してくれました。眼もないのに何でわかるのかなあ、と思いながらも万物を照らす太陽に何か怖ろしい力が宿っていると感じたものです。

私にはスポーツクリニックを通じて選手と接することで「こどもたちに生きていく自信と誇りを取り戻し、この日本をもっと元気な国にする」という夢があります。最高の関節鏡手術さらに質の高いリハビリテーションを提供することでけがを一日でも早く克服して現場復帰できるようサポートしています。さらに、けがを通したクリニックとの出会いを通じて日本人本来の精神性の回復にも努めています。「きちんと挨拶ができる」「服のボタンは留める」「スリッパを揃える」など小さな当たり前のことをきちんとできるように指導しています。今秋には、人工芝の屋外コンディショニングセンター(PFCC: Pre-Field Conditioning Center) をオープンする予定です。こどもたちが裸足で自然の風を感じながら思う存分好きなスポーツに打ち込めるフィールドです。これで、私が目指す診断から関節鏡手術、リハビリテーションとスムースに現場復帰まで応援する“トータルサポート”が完成します。

アメリカインディアンのイロコイ族では、物事を実行しようとするときに、七世代先の子孫のことを考えて決定するそうです。七世代というとおよそ二百年であり、二百年後の子孫にどのような影響が及ぶかと考えて、現在の行動を決めるというのです。そのような視点に立つと、現在日本が抱えている国内外の諸問題(原発問題、領土問題など)は自ずと答えは見えてくるような気がします。凡夫である私は、七世代とはいかないまでも、少なくとも次世代には何か誇れる足跡を残したいと思う今日この頃です。

開業だより2011

まず、東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。5月の連休と7月の週末を利用して、大学時代のラグビー部の親友が院長を務めている宮城県女川町の女川病院に医療支援に行ってきました。津波で全てを流された街は、今まで出会ったことのない凄まじい光景でした。3階ビルの屋上に乗っかった自動車、海岸より数kmも入って海など全く見えないところまで運ばれた大きな船、山上の墓場の横にひっくり返る電車・・・。自然の怖ろしさは人間の想像をはるかに超えた無言の脅威で人間に迫ってくるとただ茫然と立ちすくんでしまいました。高台に建っている避難所にもなっていた病院の1階にも津波は容赦なく押し寄せてきました。生き残った病院職員の方の話を聞くと、「湯沸室に押し流され、一緒に流れてきたソファーに何とかつかまって助かった。でもあと津波が天井まであと10㎝まで迫ってきてそれ以上来たら自分も死んでいた」と語ってくれました。この生死を分けたものは何なのでしょう。仏教に、“代受苦者” という言葉があります。“自分の代わりに苦しみを受けてくれるひと”のことです。もしかしたら震災で亡くなられた多くの方々は我々の身代わりに犠牲になったのかもしれません。そう考えると、今生かされている我々は、社会のために、未来の日本のために自分にできる何かを残していかなければなりません。


私の敬愛する鍵山秀三郎先生はこんなことを仰っています。
「私は毎年、靖国神社の参拝に行くことにしています。昭和19年9月、満11歳まで私は靖国神社のすぐ裏に住み、神社の境内が私の通学路でした。往きも帰りも、本殿横で立ち止まり、帽子をとってお辞儀するのが習慣になっていました。子ども心に何かとてもよいことをしたような気持ちになっていたものです。亡くなられた方々の御霊に、頭を下げて礼を尽くすのは、理屈ではありません。人間として当たり前の気持ちをそのまま形に表しているだけです。靖国神社を軍国主義の象徴として非難する人がいます。そういう人は、何事においても自己の権利ばかりを主張したり、むやみに人を誹謗する傾向のある人です。自分の主張だけを声高に正当化し、大方の人々の平穏な暮らしを妨げている人です。私の願いは、一人でも多くの国民に靖国神社へ参拝して欲しいという純粋な気持ちだけです。だからといって、人を無理やり誘ったり、強要するつもりもありません。反対に、参拝中止を強要されても、私が止めるようなことはしません。他国からの謂(いわ)れのない中傷に屈し、参拝を中止したり、躊躇(ためら)っている政治家がいます。誠に、情けなく嘆かわしいことです。靖国神社に限らず神様に対し、自然に頭が下がるのは、人間としてごく自然の気持ちではないでしょうか」

(鍵山秀三郎著「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」より)

私の小さい頃には、祝日にはどの家も国旗を掲げてお祝いしていました。いつの頃かそのような光景も眼にすることはなくなりました。国旗を掲げず、国歌を歌わせない学校もあると聞きます。世界中のどこに、自分の国の国旗を掲げず国歌を歌わないアホな国がありますか。戦後の占領政策により、権利主義、結果主義、悪平等主義が行きわたり、「お金さえあればいい、今さえよければいい、自分さえよければいい」という小さな個人主義が蔓延してとても住みにくい国になり下がっています。この震災が我々の精神世界の大きな転換のきっかけにならないと亡くなった方々が浮かばれません。

私には「スポーツを通して、選手達に生きていく自信と誇りを取り戻し、この日本をもっと元気な国にする」という信念があります。大好きな関節鏡手術もやりながら、1日でも早く元気な笑顔で現場へ復帰していく選手の姿をひとりでも多くみたいと思っています。昨年の手術件数は震災の影響もあり188例(うち関節鏡手術160例、85%)と昨年よりかなり減少しました(別表)。これも自らに課せられた試練として乗り越えなければなりません。ただ自らの技術の深化も肌で感じることができました。肘関節の可動域制限も鏡視下手術と積極的なリハにより改善が期待できます。股関節鏡もFAIなど最近注目されており今後増加する可能性があります。「昨日より今日、今日より明日」と自分が変わっていくことが実感できるのはわくわくして楽しいものです。それがひとの役に立つことであれば尚更です。生かされていることに感謝しながら、今日もひとりでも多くの選手をしあわせにします。

私の提言:広域整形医局構想
臨床研修制度が始まって、卒業生が自由に自分で研修病院を選択できるようになり、各大学で入局者に偏りがでたり、医局員が激減している医局もあると聞きます。我が医局も将来を憂う熱心な先生方があの手この手を駆使して勧誘して何とか維持している状況です。医局内での各分野のセンター構想も遅々として進んではいません。そのような状況を鑑みると、ひとつの医局で各分野をしっかり指導して立派な整形外科医を育てるには限界があるのではないかと考えます。これは単なる一大学の問題ではなく、日本全体にわたる問題として捉える必要があるのではないでしょうか。そこで、『新入医局員のための初期整形研修における広域整形医局構想』なるものを提案します。

それは、

  1. 日本を、北海道地区、東北地区、関東地区など広域のブロックに分ける
  2. 各ブロックごとに脊椎、人工関節、上肢、下肢、関節鏡、救急外傷、腫瘍、小児、スポーツなどの各分野で専門といえる施設を10~20施設リストアップする(指導施設となるための条件としては、月患者数、年間手術件数、指導医の人数、学会活動などの条件があろうか)
  3. 新入局員が希望する各分野の施設を選択し、3か月ごとに2~3年にわたって整形外科初期研修を行う
  4. 以上を、日整会主導で調整し、その研修状況を把握する。終了した後、所属医局での指導体制にもどる。


もはやさまざまな分野でボーダーレスの時代になり、医局の枠にとらわれず、自由に勉強したい施設に見学にいく後輩たちも増えてきました(逆に、向上心のない後輩は全く成長する機会がなくなります)。新入局員は、単なる大学の財産ではなく、日本整形外科学会否日本の財産であるとの認識の下、皆で一人びとりを大切にしっかりと育てていく時代になったのではないでしょうか。同門各先生方にぜひともご一考願えればと思います。

開業だより2010

スポーツクリニックを開業して5周年というひとつの区切りの年を迎えることができました。これも同門会始め多くの先輩後輩の諸先生方のおかげであると心より感謝しております。昨年には、やる氣の漲ったPTやトレーナーが入職し、さらに活気のある雰囲気になりました。これで私の目指す「現場復帰までの円滑なトータルサポート」を実現する足場ができたと感じています。4月には手狭になったコンディショニングセンターを拡張すべく、新しくリハビリ室を建築開始しました(写真1)。9月には「スポクリ第2棟」が完成し、より充実した機能的リハビリテーションが提供できるようになります。私は5年後、さらに10年後のクリニックの姿を思い描きながら毎日選手と向き合っています。すべては「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多くしあわせにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」というクリニックの理念を形にするためです。思いやりと感謝の心で、喜びを与える姿勢を維持しながら、一歩一歩着実に歩を進めていきたいと考えています。

開業だより2010

凡そ事を作(な)すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず

言志録 佐藤一斎


仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない。明治維新の志士達の精神的支柱となった「言志四録」からの一節です。とかく我々は、自分の地位や名誉、目先の利益に目を奪われがちです。そうではなく、天を相手に仕事をせよという壮大な教えです。私には「スポーツを通して、選手達に生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしたい」という夢があります。大好きな関節鏡手術もやりながら、1日でも早く元気な笑顔で現場へ復帰していく選手の姿をひとりでも多くみたいと思っています。昨年の手術件数は233例(うち関節鏡手術194例、83%)となり、昨年よりやや減少となりました。目標としていた年間関節鏡手術200例を維持していくのは大変なことと実感しています(別表)。ただ、私なりに進歩した面もありました。慶友整形に見学させていただき肘離断性骨軟骨炎に対する骨軟骨柱移植(モザイク・プラスティ)を習得できました。これでどのステージの選手にも対応できる自信ができました。また、関矢先生からアドバイスいただき、鏡視下PCL再建術と後外側構成体再建術を習熟でき、自らの技術を深化させることができました。「昨日より今日、今日より明日」と自分が変わっていくことができるのはわくわくして楽しいものです。それがひとの役に立つことであれば尚更です。よく「肩関節鏡は何例やったら自信がついてきますか?」という質問を受けます。マルコム・グラッドウェルは、「さまざまな分野で成功した人の多くは、その分野に精通するまで1万時間同じことを繰り返していた」と言っています。「1万時間の法則」というそうですが、1日3時間としてもおよそ10年間かかります(1日4時間ならおよそ7年間)。やはり物事をある程度極めるためには10年は必要ということでしょうか。ただし、下手な手術を何百例みても反省点は生まれますが上手くはならないでしょう。やはり、魂のこもった美しい手術をみることです。私もそんな手術を後輩の先生方にみせられるよう日々研鑽を積んでいきたいと思います。

開業だより2009

スポーツクリニックを開業して早いもので満4歳になりました。4歳といえは少しずつ社会性が身につく時期ですが、スポーツ専門のクリニックとして少しずつ県内に浸透しつつあることを実感しています。クリニック内といえば、半数に減ってしまった組織を再構築して出直す大切な1年となりました。トップの私にとっては初めての出来事でしたが、残ったスタッフにも計り知れない動揺が走りました。とにかく残ったスタッフの心を繋ぎとめ、結束を図らなければなりません。大いに悩み「給料を上げる」「スタッフを増やして時間的な余裕をつくる」など物理的な方策も考えましたが、もう一度原点に立ち返りクリニックがどこに向っていくのかという理念を共有することに行きつきました。「悩み苦しんでいる選手をひとりでも多くしあわせにして笑顔と元気を取り戻してもらい、その喜びをスタッフみんなで共有する」というクリニックの理念をひとりひとりに浸透させ、その力を結集して高いレベルの流れをつくっていきたい。おかげさまで、何とか苦境は乗り越えられ、ひとりも脱落することなく皆大きく成長してくれました。4月からは、さらに向上心の高いスタッフが加わり、私の目指す「現場復帰までの円滑なトータルサポート」の実現に向け大きく一歩前進しました。今後も、思いやりと感謝の心で、もらうのではなく喜びを与える姿勢で選手たちと向かい合っていきたいと思います。


うばい合えば足らぬ

わけ合えばあまる

うばい合えば憎しみ

わけ合えば安らぎ

相田みつを


私には「スポーツを通して、選手達に生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしたい」という夢があります。大好きな関節鏡手術もやりながら、1日でも早く元気な笑顔で現場へ復帰していく選手の姿をひとりでも多くみたいと思っています。けがをしたことでこのクリニックと出会ったことを心から喜んでほしいと願っています。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただきました。手術件数は249例(うち関節鏡手術207例、83%)となり、昨年より9%の増加でした。おかげさまで目標としていた年間関節鏡手術200例も1年で達成することができました(別表)。これも各方面から信頼してご紹介いただける同門の先生方のおかげです。しかもこれだけ多くの患者さんが、私というひとりの人間に大切な自らの身体を預けて任せてくださるということは身に余る光栄であり、何としても悩みを克服して元気になっていただきたいという気持ちでいっぱいです。次の目標は年間手術300例、関節鏡手術250例です。今後も1人1人眼の前の選手を大切にしながら、努力を積み重ねていきたいと思います。肩、膝、肘、足、手関節など、どの関節でもお困りの患者さんがいらっしゃいましたら、「ちょっと待てよ、関節鏡はできないものか」と、ちょっと声をかけていただければありがたいです。

先日、昭和の碩学安岡正篤先生の素晴らしいメッセージに出会いました。私もいたずらに大言壮語するのではなく、地道に一隅を照らす生き方をしたいと心新たにしました。今後とも同門会員のみなさまの変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。

萬燈行 安岡正篤

内外の状況を深思しましょう。
このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。
我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々が何とかするほか無いのです。
我々は日本を易えることが出来ます。
暗黒を嘆くより、一燈を点けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照す一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう。
これ我々の萬燈行であります。
私に真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。

開業だより2008

スポーツクリニックを開業して4年目に突入しました。“石に上にも3年”といいますが、とにかく早く軌道に乗せたいと必死に走り続けてきた3年でした。好きな仕事をやっているので、毎日が楽しくてしかたありませんでしたが、やはり組織作りには腐心しました。クリニックの理念である、「悩み苦しんでいる選手にひとりでもこのクリニックで笑顔を取り戻してもらい、その喜びをスタッフ全員で共有する」をひとりひとりに浸透させて、各セクションで最大限の力を発揮し、その力を結集して全体としてより高いレベルの流れをつくっていく。言うは易しですが、形にするということはとても難しいことです。信頼しすぎるあまり、あるいは期待しすぎるあまり、互いの思いに温度差が生じ、溝ができることもあります。流れができたようにみえると、慢心という傲慢さが頭をもたげてきます。トップとしての自信が過信になってはなりません。スタッフとしての誇りが奢りになってはなりません。組織におこるすべてはトップの資質からくるものであり、そのためには人格を磨く努力を怠ってはならないと思います。常に素直な気持ちで謙虚に周りの声に耳を傾けたいものです。


あの人がゆくんじゃ わたしはゆかない あの人がゆくなら 

わたしはゆく あの人 あの人 わたしはどっちのあの人か?

相田みつを


 

私には「スポーツを通して、選手達に生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気な国にしたい」という夢があります。大好きな関節鏡手術もやりながら、1日でも早く元気な笑顔で現場へ復帰していく選手の姿をひとりでも多くみたいと思っています。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をやらせていただきました。手術件数は228件となり、目標としていた年間200件を開業3年で達成することができました(別表:うち関節鏡手術は174例(76%))。これだけ多くの患者さんが、私に身体を預けて任せてくださるということは身に余る光栄であり、何としても悩みを克服して早く幸せになってほしいという気持ちでいっぱいです。次の目標は関節鏡手術年間200件です。足関節、手関節など小関節鏡で何か新しい形成術ができないものか模索中です。腫瘍に対する鏡視下手術にも挑戦したいと考えています。今後もコツコツ努力を積み重ねていきたいと思います。肩、膝、肘、足関節など、どの関節でもお困りの患者さんがいらっしゃいましたら、「ちょっと待てよ、関節鏡はできないものか」という発想で、ちょっと声をかけていただければありがたいです。

孔子は“四十にして惑わず”と仰いました。日本中どこをさがしてもないオンリーワンのスポーツクリニックを目指して果てしない挑戦は続きます。同門会員のみなさまの変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。

開業だより2007

スポーツクリニックを開業して3年目に突入しました。1日24時間では足りないくらい100m全力疾走のような毎日でした。しかし、1日としてつらいと思った日はありません。自分のやりたい仕事を信頼している仲間と実践しているという実感があるからです。ときに「好きな仕事ができていてうらやましい。」といわれることがあります。そんなに儲かってうらやましがられるような仕事をしているつもりはありません。スポーツクリニックという専門性を前面に押し出したクリニックなので、経営的には厳しいものがあります。選手達は、薬も欲しがりませんし、もちろん注射もしたがりません。診察そのものを希望し、「今後どうしたらいいのか」というアドバイスを求めてきます。3割負担だと、再診料は370円しかいただけません(勤務医時代は恥ずかしながらこんなことも知りませんでしたが)。選手達は、500円玉を握り締めて来院してきます(私はこれを、“ワンコイン外来”と呼んでいます)。“薬をだす” “注射をする”という医療行為でしか売り上げを伸ばせない現在の出来高払い医療制度に逆行するようなやりかたです。毎日ぽつぽつ来ていただける中高年者の患者さんはクリニックにとってはとても大切な患者さんになっています。

私には「スポーツを通して、選手達に生きていく自信と誇りをもたせ、この日本をもっと元気にしたい」という夢があります。大好きな関節鏡手術もやりながら、1日でも早く元気な笑顔で現場へ復帰していく選手の姿をひとりでも多くみたいと思っています。この1年も先輩、後輩の先生方のご助力をいただきながら多くの手術をさせていただきました(表1)。手術件数は194例で、昨年と比べ11%の増加となり、うち関節鏡手術は158例(82%)でした。新たに結城病院や下都賀総合病院でも手術の機会を与えていただきました。初めての手術でスタッフの方々にはご迷惑をおかけしたことと思います。貴重な機会を与えていただき心から感謝しています。私にとって同門の先生方と一緒に手術するのはとても刺激的であり、もっと技術を磨かなければと向上心も沸いてきます。肩、膝、肘、足関節など、どの関節でもお困りの患者さんがいらっしゃいましたら、「ちょっと待てよ、関節鏡はできないものか」という発想で、また声をかけていただければありがたいです。

「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん」(『孟子』)という言葉があります。自らを常に省みながらも、正しいと信じたことはどんな困難があろうとも、ひるまずに自らの道を進んでいきたいと決意を新たにしています。同門会員のみなさまの変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。

開業だより2006

スポーツクリニックを開業して早1年が過ぎました。無我夢中で走り続けた1年でしたが、経営者としては壁にぶつかりっぱなしで試行錯誤の毎日です。しかし、おかげさまでスタッフには恵まれ、各自がクリニックの理念をよく理解し自分の持ち場で最大限の力を発揮してくれています。経営者としての無能さを棚に上げるわけではありませんが、組織は“金づくり”より“ひとづくり”ではと感じています(“ひと、かね、もの”が揃えばそれに越したことはありませんが)。5月にはスタッフみんなで岩手県花巻温泉へ1周年記念旅行に行ってきました(写真1)。現在では企業は社員旅行なるものをあまりやらなくなったと聞きますが、温泉に浸かったり、膝を合わせて酒を酌み交わすと普段の仕事では決してみられない表情や行動を目の当たりにできとても意義深いものでした。

診療については「診断から治療さらに現場への復帰まで選手をトータルでケアしたい」という私の信念から、午前に手術、午後に診察およびコンディショニングづくりと精力的に動き回っています。体力的にはきついですがほぼ理想的なスタイルを1年で確立できました。手術もこの1年で172例にのぼり、うち関節鏡手術は141例(82%)でした(表1)。これも上三川病院、桐生整形外科病院はじめ関連病院のご理解、さらに“どんどん手術やってくれよ”といってくださる先輩の諸先生方、“関節鏡をいっしょに勉強したい”といってくれる後輩の諸先生方のご支援の賜物と心から感謝しています。本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。また、この1年でうれしかったのは林先生が本格的に肩関節鏡の勉強を始めてくれたことです。肩を引き継いでくれる後輩を育てないで開業してしまったので、彼が「肩を勉強したい」と言ってくれたのは望外の喜びでした。肩は取っ付きにくくてわかりにくい印象がありますが、実は奥が深くどんどん引き込まれてしまうフィールドです。現在、芳賀日赤病院で活躍してくれていますが、私も全力でサポートしたいと思っていますし、同門の先生方も肩で困った症例がありましたらどんどん紹介してください。

開業だより2005

6月に「かみもとスポーツクリニック」を開業して早3ヶ月が経ちました。100m走のような毎日で、午前中に関節鏡手術(肩、膝、肘関節など)、午後に9時過ぎまで外来診療と忙しい日々を送っています。勤務医時代とは違って規則正しい(?)生活になり、夜飲みに出歩くこともほとんどなくなりました。医師としての診療業務はもちろん、電子カルテを打ち込んで領収書を発行する医療事務、注射に薬品を詰めたり、鑷子を滅菌する看護師業務、ダスキン並みの床磨きやトイレ掃除、明恵産業にも負けないシーツやバスタオルの洗濯など何役もこなしています。

勤務医の時には全く無関心だった医療システムも少しずつ見えてきました。現在の医療は薬の処方や注射、点滴など何かをしなければ儲からない仕組みになっています。局所の診察にとどまらず、選手の全身の身体動作をチェックして、選手の話を熱心に聞いても再診料はせいぜい380円程度にしかなりません。患者さんの話に耳を傾けるより、注射をした方が売り上げが伸びるわけです。今の医療経済が破綻寸前だというのもわかるような気がします。

開院当初は、スポーツ選手を対象にしてやっていけるのかと不安でしたが、いざ走り出してみると、こんなにも困っている選手が多いのかと驚かされます。「X線では異常はないといわれたが、原因は何か?」「いつからスポーツに復帰できるのか?」「できることとできないことを知りたい」「具体的にどのようなトレーニングをしたらいいのか」など選手の抱えてる悩みは尽きません。ひとりひとりの選手に真剣に対峙しながら、会うたびに選手が変わっていく姿をみるのは本当に楽しいものです。

以前は、先輩をみて開業するときは夢をあきらめたときだなんて誤解していた時もありました。今は自分の夢を実現するにはこういう開業という形しかなかったんだろうと思っています。金銭感覚もない経営感覚もない私にとって、今まで経験したことのないさまざまな波が押し寄せてきますが、家族を含め、多くの方々に支えられながら何とか少しずつ前進しています。医療経験しかない世間知らずな私に、親身になってアドバイスしてくださる方の言葉は本当にありがたく自分の財産になっています。

プロジェクトXのエンディングで有名な中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」にこんなフレーズがあります。


「行く先を照らすのは、まだ咲かぬ見果てぬ夢

はるか後ろを照らすのは、あどけない夢

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない」


私の夢に向かった旅はまだ緒についたばかりです。わけのわからぬ方向へ進まぬように、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻をお願いいたします。